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地味な名君「徳川家宣」

徳川将軍職に就任した15人の将軍をまとめます!
どの将軍も魅力的な人物です。

今回は6代目将軍「徳川家宣」です。

徳川家宣は荒れた先代の綱吉治世下を治めました。
秩序が乱れた江戸の世を巧みに操縦した名君の1人です。

徳川家宣を紹介する


©徳川記念財団

影の薄い将軍

6代目将軍徳川家宣は影が薄いです。
5代目将軍徳川綱吉が良くも悪くもインパクトの強い将軍様でした。

家宣は綱吉の影に隠れた将軍です。
ただ、彼は綱吉がグラつかせた江戸の世を建て直していました。

概ね、家宣の政治は善政と評価されます。
家宣の外交や朝廷への貢献度は高いです。
→綱吉を判明教師にしていた

不遇な環境で育つ家宣

徳川家宣の父は徳川綱重です。
綱重は3代目将軍家光の子供です。

綱重は3代目家光の息子4代目家綱の弟5代目綱吉の兄です。

家宣は由緒正しい将軍一家の生まれです。
家宣は由緒正しい家柄ですが、彼の生活は由緒とは縁遠い幼少期でした。

その理由は家宣は綱重が女中に手を出して、出来た子供だからでした。
女中の子ということで家宣は冷遇されます。

養子へ追い出される

由緒が大切な将軍家において、女中の子供は面倒な存在です。
家宣は父の家臣の養子へと出されます。

ところが、その後、父に男の世継ぎが誕生しません。
すると、家宣少年は本家へと戻されます。

「由緒、由緒」と言いますが由緒より血の繋がりが大切でした。

家宣からすると、たまったものではありません。
しかし、これが江戸の世の常です。
世知辛いです。

因みに、家宣は出世すると養父を取り立てました。
家宣は義理堅い御仁です。

将軍就任のチャンスが目の前でスルー

4代目家綱が亡くなる際、家宣に将軍の打診があります。

当時は家宣の父綱重は死んでいました。
家宣が正式に家系を継いでおり将軍の役が回ってきます。

家宣は名君の素養が噂されていました。

江戸では待望の将軍誕生のはずでした。
しかし、家宣将軍就任チャンスは目の前で潰えます

5代目将軍綱吉の懐刀、堀田正俊が暗躍します。
結果は、徳川綱吉が将軍になります。
→江戸の民からしたら、迷惑な話です

目の前の処で、将軍職をかっさわれた家宣。
叔父である暗君、綱吉を目の間に、グッと堪えます。

耐える家宣

力を蓄えて待つ

綱吉は「生類憐みの令」を発布、暴走します。
その間、家宣は着々と力を蓄えます。

家宣は新井白石や間部詮房などの地元の優秀な人材を登用します。
そして、家宣自身が政治を真摯に勉強します。

家宣は綱吉の政治が、庶民を苦しめていることを耳にすると
俺ならこんなやり方はしない」と悔しい想いを胸に抱き、機が熟すのを待ちます。

そんな家宣に転機が訪れます。

綱吉の跡取り息子が早逝します。
綱吉には正当な世継ぎが出来ませんでした。

善政を敷くために、力を蓄えていた家宣にとっては朗報でした。
将軍就任のチャンスが再び訪れるのです。

念願の将軍就任

綱吉が病床に伏し「家宣が将軍を継嗣する」と思われました。

しかし、綱吉は、家宣を嫌います。
綱吉は優秀で部下からの人望の厚い家宣に嫉妬していました。

俺の跡取りが、家宣なんて許せん」と綱吉は悪あがきをします。
綱吉の娘婿を将軍にしようと画策します。
→どこまでも迷惑な将軍です

天運は家宣に味方する

ですが、天運は家宣に味方しました。
綱吉が次期将軍にしようとした人が早逝します。

綱吉の悪あがきも虚しく、散りました。
家光公の血を引く家宣が6代目将軍に就任します。

これには綱吉も「ムキー、あのインテリ、ノッポめ…」と天に召されます。
家宣は歴代将軍で1番の高身長、綱吉は1番の低身長

あっぱれ家宣 正徳の治

生類憐みの令は速攻で廃止

綱吉は死の床まで、生類憐みの令への想いを熱く語りました。
生類憐みの令…あれだけは続けてくれ…それだけは約束してくれ…」と綱吉は最期まで周囲に嘆願して、亡くなります。

家宣は「あんたは阿保か」と綱吉最後の嘆願を一蹴。
就任直後、一瞬で生類憐みの令を廃止します。

これには江戸の民も歓喜です。

老練な政治家

家宣が将軍に就任したのは48歳でした。

当時の年齢で言えば、老人の域に達しています。
そんな老人は、政治のことを充分すぎるほど勉強していました。

生類憐みの令の悪評にも耳を傾けていました。
民の生活をひっ迫している現状も理解していました。

琉球や李氏朝鮮との外交

この頃、幕政を助けたのは家宣の旧縁の家臣でした。
江戸時代きっての天才学者、新井白石と家宣の右腕、間部詮房です。

この2人はその後、長らく幕政に携わります。

幕府は新たに琉球や李氏朝鮮との外交を結びます。
特に、豊臣秀吉の侵略で関係が冷え切っていた李氏朝鮮との外交実績は大きいです。

これにて広く、文治政治を推し進めていくという家宣の思惑がみてとれます。

天皇家を救う閑院宮家創設

皇継存続を危惧した新井白石。
「朝廷に新たに宮家を創設しましょう」と進言します。

家宣は白石推しです。
「お前の案なら間違いない。朝廷に宮家を新設しよう」と閑院宮家が創設されます。

そのずっと後に、白石の予想は的中します。
皇継危機に面した朝廷は、閑院宮から天皇が誕生します。

そして、その天皇の家系が今上天皇へと繋がってます。
家宣と新井白石のナイスな判断で、天皇家は守れています。

 名君こそ早きに死す

 家宣の微かな輝き

家宣は、48歳で将軍に就任しました。
高齢で就任してから綱吉時代に停滞した政治を怒涛の如く好転させました。

先代の綱吉が、政治を停滞させ江戸の世は荒廃。
その後に、真っ当な政治をするご老体が出現した形です。

ご老体の家宣にとって、将軍職は余りにも激務でした。
家宣は、就任してから3年と少しで、逝去します。

死因は、インフルエンザと言われています。
相当免疫が弱っていたのでしょうね。家宣さん、お疲れ様です。

落ち着いた家宣の女関係

家宣は女関係も問題はありませんでした。
妻は5人娶り、男の世継ぎも誕生させました。

ただ、悲しいことに家宣の子供はことごとく亡くなります。
徳川将軍家でも江戸時代の子供の生存率はかなり低いです。

辛うじで、生き残った家継が世継ぎになります。

家宣は、病弱な世継ぎを憂いて最後を迎えました。
誠に将軍職を真摯に真っ当していた将軍様だったのです。

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