YouTubeチャンネル運営中

悪評高い犬将軍「徳川綱吉」

徳川将軍職に就任した15人の将軍をまとめます!
どの将軍も魅力的な人物です。

今回は「5代将軍、徳川綱吉」です。

綱吉は徳川将軍家の中でも1・2を争う悪評の高さを誇ります。
近年では再評価の一面もありますが鈍愚な印象は拭えません。

犬将軍と揶揄された綱吉はどのような悪政を敷いたのでしょうか?

結末を端的に


©土佐光起

●ピンチヒッターで将軍へ
→朱子学に傾倒
→「親兄弟を大切にしろ、礼儀をわきまえろ」

●綱吉の暴走
→生類憐みの令
→朱子学の強要

●ストイック将軍
→能を発展させる
→有名な忠臣蔵では悪役

綱吉は、生類憐みの令でかなり悪いイメージが先行しています。
考え方は弱気を救おうという理想論者ですね。

犬将軍は勉強オタクのストイック将軍でした。

徳川綱吉をセンセーショナルに紹介する

ピンチヒッターで将軍へ

徳川将軍家は4代目徳川家綱の代から本格的な世襲制に移行。
ただ、綱吉に子供が恵まれず、速攻で世襲制は破綻します。

そこで、ピンチヒッターとして徳川綱吉に将軍職が回ります。
綱吉は3代目将軍家光の四男です。

綱吉の上の兄弟は全員死んでいました。
自動的に繰り上がり、綱吉が5代目将軍に選ばれます。

因みに、綱吉にも男子が生まれせん。
徳川家の世襲制は全く機能していないことが理解できます。

みっちり儒学を教わる綱吉

儒学を学ぶ

綱吉は父の家光から「兄(家綱)のことを支えなさい」と儒学の勉強をみっちり叩き込まれます。

綱吉は瞳をキラキラさせ、儒学を懸命に勉強します。
儒学とは、中国孔子の教えです。

儒学は「親兄弟を大切にしろ、礼儀をわきまえろ」
など当時の世を歩く上での常識みたいなものでした。

朱子学に傾倒する

綱吉は、儒学の中でも、特に秩序を重んじる朱子学に傾倒します。

天下の徳川将軍が、秩序を重んじることを強要しました。
家臣からすると、神経の消耗は半端ではありません。

少しでも無礼があれば、「朱子学を軽んじるな。切腹じゃ」という具合です。
どこかの独裁者を彷彿させます。

前半戦は善政だった綱吉

天和の治

綱吉は悪評高く有名です。
しかし、尾ひれがついた話も沢山あります。

現在では綱吉を再評価する流れもあります。

天和の治

綱吉の前半戦は、「天和の治」といいます。
天和の治で儒学の礎となる文治政治を推し進めます。

文治政治とは「武力での統治から儒学を基にした法治国家への転換」です。

綱吉は、戦国の世の残り香を完全に消し去ります。
儒学に基づいた平和な世を築くことが綱吉の目標でした。

将軍主催の勉強会

将軍になっても勉強熱心な綱吉は、盛んに儒学の勉強会を催します。
その勉強会のテーマは「秩序と平和」です。

「どうやったら、秩序を重んじる平和な世になるか」というテーマです。
大いに善政を目指していたといえます。

そんな綱吉の念願叶い、綱吉治世下の治安はとても良くなります

忠臣堀田正俊の死

勉強熱心で、平和な世を築こうと頑張る綱吉でした。
しかし、綱吉に突然の訃報が入ります。

それは綱吉が懇意にしていた大老・堀田正俊の死です。

堀田は綱吉の幕政を大いに助けていました。
この訃報に綱吉はかなりへこみます。

堀田の死をきっかけに、綱吉は周りの家臣を遠ざけます。
そして、独り儒学の道を探求します。

言わば、現実を直視せずに、理想を追求する綱吉の暴走が始まります。

 綱吉の暴走

理想と現実

綱吉の悪評を最も高めているのが、「生類憐みの令」です。
生類憐みの令は、綱吉が儒学を極め過ぎた境地です。

儒学を極めた綱吉のモットーは「仁心を尊べ」でした。
綱吉は家臣から庶民まで、朱子学の思想を強要します。

儒学を極めていない人は「仁心ってなに?」という具合です。
綱吉の理想と世間の現実の溝は広がります

生類憐みの令

庶民や家臣との溝が広まると、綱吉の暴走が始まります。
「儒学の良さが全然広まらない。徹底的に仁心を教えこむぞ!」と暴走します。

暴走の果てが「生類憐みの令」でした。

生類憐みの令
  1. 犬は絶対の存在。犬を殺した奴は極刑
  2. 野犬を集めて、犬の収容所をつくれ!その費用は税金で賄え
  3. あらゆる動物の殺生を禁止しろ
  4. 傷病人や赤ん坊、老人を大切に保護しろ
  5. 鉄砲を無断で使うな

「生類憐みの令」は沢山あり、解釈は様々です。

基本的には儒学の教えが備わった理想的な御沙汰です。
子供や老人を労り、無用な殺生を控えろ」というものです。

言いたいことは全うですが行き過ぎた面も散見されます。

綱吉は生類憐みの令で、朱子学の良さを伝えようとしました。
しかし、綱吉の思いとは真逆で儒学の教えは全く伝わりません。

生存競争の激しい時代に、他の動物に慈愛を持つ程の余裕はありません。

不運な綱吉

綱吉が悪評の高い理由に、不運な天災もあります。
飢饉や火事、地震に噴火、洪水とあらゆる天災が江戸を襲います。

富士山の噴火や日本最大級の地震といわれる宝永の地震も起きます。
将軍の悪政のせいで天が怒っている」と綱吉はとばっちりを受けます。

このような天災の中、儒学一辺倒の綱吉は、向こう見ずです。
生類憐みの令という明後日の方向を向いていました。

綱吉はやはり、政治の才能がなかったといれるのではないでしょうか。

 ストイックな綱吉

能が大好きだった綱吉

綱吉の趣味は「」でした。
朱子学の次に好きなのが能で、能にも全力でのめり込みます。

ストイックな綱吉は、1つのことに徹底的に打ち込みます。
このストイックさには見習うべきところがあります。

時には能を自分で舞り、研究。
時には能を家臣に舞らせ、研究。

流派の垣根を超えて能を発展させました。
自分の権力も利用し、あらゆる手法を使い、能業界を盛り立てます。

能以外にも文化的なことには好意的な姿勢を見せます。。
綱吉時代には「近松門左衛門」、「松尾芭蕉」、「井原西鶴」などの文化人が登場します。

江戸時代は政治が停滞すると文化が発展するという流れがおきます。
これは11代の徳川家斉の時にも同様の流れが起こります。

忠臣蔵での赤穂浪士の切腹

綱吉が将軍職在任中には有名な「忠臣蔵事件」が起きます。
「忠臣蔵事件」は主君、浅野長矩の仇を討つために、赤穂浪士が吉良上野介に復讐を遂げた事件です。

この事件において、綱吉は、赤穂浪士に対して「切腹」を命じます。

この命令にて、綱吉は人情味のない冷酷な将軍という悪評が高まります。
しかし、朱子学を極めた綱吉の想いは違うところにありました。

綱吉は「何があっても殺生はいかんのだ。主君の復讐という理由で殺生を許容したら、戦国の世に逆戻りになってしまう」という考えを持っていました。

綱吉の想いには平和のへのテーゼを感じます。
憎たらしさに処刑を遂行したとは思えません。

愚直さと潔癖主義が生んだ惜しい采配です。

身長コンプレックス

綱吉は極度の身長コンプレックスを持っていたとされます。
綱吉の身長はなんと「130cm」に満たないとされています。

江戸時代の男性の平均身長155cmなので、平均から20㎝以上も低いです。

綱吉の身長については、彼の位牌から想定されており、信憑性の高いものです。

綱吉の身長の特異さに比べて、身長に関する文献がありません。
文献が少ないのは、周りの家臣が気を遣って記載しなかったことが考えられます。

身長コンプを揶揄すれば「朱子学を侮辱している。切腹じゃ」と言われかねません。

綱吉の色恋沙汰

恋多き将軍綱吉

綱吉は恋多き将軍として知られています。
奥方の数は4人と並みの数字ですが、方々で関係を持ってました。

恋は多かれど、跡継ぎとなる男子は1人しか生まれません。
唯一の嫡男も夭逝します。

跡継ぎを確保する目的でも女性と積極的に関係を持ってたのかもしれません。
それでも跡継ぎに恵まれず「跡継ぎが出来ないのは朱子学を軽んじるせいだ」と暴走が続きました。

男色もいける綱吉君

綱吉は知的好奇心が旺盛な御仁。
幼少期からあらゆる方面で好奇心が旺盛な子供でした。

その好奇心が綱吉を男性へと目覚めさせます。
綱吉の父、家光は江戸幕府きっての男色家でした。

綱吉は男色界のサラブレッドです

綱吉は美少年への探求を始めて、ついには美少年版、大奥を創設したとされています。
恐るべし、綱吉の探求心です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。