カリスマ天才将軍「徳川家光」

徳川将軍職に就任した15人の将軍をまとめます!
どの将軍も魅力的な人物です。
将軍たちのセンセーションな部分をお届けします!

今回は3代目徳川家光です。
家光は、「参勤交代」や「島原の乱」など、歴史の教科書でも大活躍です。

それでは、徳川将軍家きってのカリスマ、徳川家光に迫ります!

徳川家光をセンセーショナルに紹介する


©金山寺蔵、岡山県立博物館

ハイパーエリート徳川家光

徳川家光を一言で表すと「天才」です。
江戸幕府260年間の長い歴史でも稀にみる政治の天才です。

江戸幕府の序盤は「家康→秀忠→家光」と有能な君主が続きました。
この後の家綱も有能で序盤に有能君主が続き、幕府の地盤固めに成功しました。

家光は偉大な祖父家康と優秀な父秀忠を持つ、ハイパーエリートです。
そんな家光の素顔を覗きましょう。

熾烈な跡目争いを制す徳川家光

苦難の道のり

2代目の徳川秀忠は、家光の弟の国松(徳川忠長)を溺愛します。
そのため、将来の家督は弟の国松にしようと画策します。

秀忠が国松を溺愛した理由は「家光の容姿が醜い」からとド直球な理由です。
(将軍家の親子関係の希薄さが伺えます)

家光はこのままでは、家督を継ぐことが難しいと考えます。
幼少期からずば抜けた才を持つ家光は、自身の身を危惧します。

弟が将軍に就けば、自身の立場が危うくなると察します。

策を用いて、将軍就任

苦難に立たされた家光は策を用い、将軍職の座を奪取しにいきます。

家光は乳母の春日局(大奥で有名)に依頼して、根回しを開始します。
大御所として、駿府に居座る家康に、将軍継嗣の問題を持ち掛けます。

大御所の家康は、春日局の巧みな話術に乗りました。
家康は直ちに、江戸の将軍、秀忠を一喝します。

「弟の国松に将軍を譲るのはダメだ!」
年少者は年長者に(敬意を持って)礼を尽くせ!」と秀忠に命を出します。

秀忠も家康の命令は、絶対です。
結果的に家康の鶴の一声によって、家光が次期将軍の座に決まります。

家光は、将軍継嗣の際、春日局に借りを作りました。
そして、この大きな借りのために、家光は春日局には頭が上がらなくなります。

とにかく天才スーパーマン徳川家光

青年期まで不遇の時代を過ごす

幼少期の家光は、容姿が優れず吃音でした。
そのため、父親である秀忠にあまり好かれていませんでした。

家光は父親からは、嫌われていました。
しかし、幼少期からとても聡明で、祖父の家康からは可愛がられます

それでも、周りの家臣や秀忠からの評価微妙です。
世継ぎがあいつで大丈夫か?」と不安視する声は多くありました。

そのため、先代の秀忠が隠居しても、積極的に政治に関わりました。
家光は秀忠が死ぬまでは、目立った働きが出来ませんでした。

政治の天才家光が動きだす

家光の転機は、父である秀忠の死でした。
秀忠が逝去すると、家光は徐々に、政治手腕を発揮します。

江戸幕府が260年間続いたのも家光のおかげと言えるほどです。
まだ乱世の名残が残る動乱の時代を治めます。

「徳川には敵わない」と世に知らしめたカリスマ将軍です。

幕藩体制の確立と武断政治

幕藩体制の確立

家光は従来の幕府の基盤にテコ入れします。
旗本という「各藩が力を持つ制度」を再編します。

この再編は、地方分権から中央集権への移行を促します。
結果的に、徳川政権を各藩が盛り立てるシステムを構築します。

その再編によって、老中,若年寄,奉行,大目付という役職が設置されます。
こうして、家光は、全国の幕藩体制を確立していきます。

武断政治の推進

家光は、家康治世から続く武断政治を推進します。
武断政治は、「将軍家の権威を上昇させる政治」です。

その一方で、朝廷と幕府の関係を改善します。
朝廷と幕府の関係修復により、政局の安定化を図りました。

武断と譲歩のバランスが抜群でした。
名君の匂いがしてきます!

家光最大の功績、参勤交代の確立

参勤交代の確立

家光は幕藩体制をより加速させます。
幕藩体制の中心は、「参勤交代」という制度です。

参勤交代は諸大名に権力が集中することを回避させました。

参勤交代は、諸藩の大名を上京させる制度です。
大名行列をつくり全国の諸藩が江戸の将軍に謁見します。

参勤交代の狙い

参勤交代の狙い
  • 諸藩の財政削減
    →諸藩の財政をひっ迫させる
    →反乱を未然に防ぐ
  • 幕府の権威向上
    →将軍への謁見行為を強要

諸藩の財政削減

参勤交代の最大の狙いは諸藩の財政削減でした。
参勤交代は、諸藩の財政に大きな影響を与えます。

将軍への献上物、江戸への道中の経費など費用は膨大でした。

江戸幕府は、江戸から遠方ほど、外様大名の所領が広がっています。
外様大名は関ヶ原前後で徳川に与した勢力で危険因子です。

遠方の大名は参勤交代によって、それだけ多大な負担を負います。

こうして、諸藩の財政は参勤交代によって、ひっ迫します。
ひっ迫した財政下では、幕府を攻め立てるという気も起きませんでした。

幕府の権威向上

参勤交代は幕府の権威向上に一役買いました。
将軍への謁見行為は、各地の諸藩を統治しているということです。

徳川将軍が、日本の統治者であるということを示す行為でした。

 

外交面でも手腕を発揮する家光

家光は外交面でも手腕を発揮します。
外国との交流を長崎の出島に限定し、諸外国からの侵略を防ぎます。

また、交流国をキリスト教を布教しないオランダに絞ります。

鎖国で外部からの情報を完全に遮断するのは危険です。
そこで、交流を限定し、外国の情勢への情報収集も怠りませんでした。

島原の乱

キリスト教の抑圧は大規模な反乱に繋がりました。
天草四郎で有名な島原の乱が起きます。

戦経験の乏しい家光でしたが、この危機も乗り越えます。
速やかに大軍を戦地に赴かせ、速攻で反乱を鎮圧しています。

 

まだまだあるぞ、天才家光

家光の偉業を振り返るとんでもない偉人であることが伺えます!
ですが、家光無双はまだ続きます。

農業改革

家光の在職中に日本を、大飢饉が襲います。
家光は大規模な農業統制を図ります

全国の大名に徹底的に農地を調べさせます。
そして、効率的な農地改革を推し進めます。

結果、この大飢饉も家光は、打開してきます。
→JAも度肝を抜く農地改革

武勇もいける

また、家光は武勇にも優れていました。
剣術の達人、柳生宗矩に師事していました。

結果、免許皆伝の腕前を誇りました。

 両刀使いの将軍家光

男色将軍

家光といえば男色!」いうほどに、家光の男好きは有名です。

好きな男の子には、領地をあげて大名にしてしまいます。
男絡みの色恋沙汰は頻繁で嫉妬で小姓を切り捨てるなど荒れていました。

将軍特権でやりたい放題、男遊びを繰り返しました。
家光は女装癖もあり、筋金入りの男色家でした。

政治は凄腕でも男癖は相当悪かったようです。

跡目が出来ない

男色一辺倒の家光に、乳母である春日局は焦ります。
家光に跡目が出来なければ幕府の基盤がぐらつきます。

そのため、春日局は全国から美女を集めて、家光のお嫁候補を探します。
美女を城内に集めて出来たのが「大奥」といわれています。

春日局の努力には見向きもせず、家光は男色ハッスル三昧です。
春日局や幕閣は「世継ぎを早く作れ」と血眼になって家光に子作りをさせます。

春日局や家臣は相当焦っていました。
(家光の子供が出来ないと自分達の立場も危ういですからね)

なんとか世継ぎは確保した

春日局の働きもあり、家光は30代で妻を娶ります。
その後、待望の跡継ぎも生まれました。

これには、春日局や家臣もホッと胸をなで下ろします。

ですが、家光に夜の営みがあったかは、歴史の陰謀が立つところです。
通説では家光が両刀使いで、女性とも関係も持ったと言われています。

しかし、男色一辺倒の家光が、急激に性癖が変わるとは思えません。
ここら辺は、春日局や家臣が捏造隠蔽した可能性の陰謀が立ちます。

生粋の男色家が急に、子供を作るとはなんか違和感があります。
因みに、家光は周りの勧めもあり、9人の妻を娶っています。

両刀使いが事実なら、とてつもない性への造詣があった御仁です。

早すぎる家光の死

早すぎる天才の死

男色の天才、家光は1651年にこの世を去ります。
カリスマ将軍の死は46歳の若さでした。

死因は脳梗塞、脳出血だとされています。

早すぎる天才の死に、悲しみの声が溢れかえります。

家光がいなければ

家光の存在は江戸幕府の中でもかなりの影響力です。
幕府を築いた家康に並ぶ程の重要人物です。

家光が将軍でなければ、江戸幕府が続くことはなかったでしょう。
ましてや、日本がキリスト教の国に生まれ変わっていたかもしれません。

しかしながら、家光は男色ハッスルに明け暮れていた説もあります。
実際に政治を動かしていたのは、家臣たちであるという説。

希代の天才は、幻であったという可能性も残っています。
→(今までの家光アゲが台無しだ)

結論

個人的には、男色将軍という肩書は面白いと思う。
家臣が凄かったといはいえ、それも家光の運だと思うし天才には変わりないね。

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