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表舞台に現れない天才将軍「徳川家治」

徳川将軍職に就任した15人の将軍をまとめます!
どの将軍も魅力的な人物です。

今回は10代目将軍「徳川家治」です。

家治は政治に関心がなく、趣味に没頭する人柄でした。
一方で、武芸や学問、芸術とあらゆる分野で能力が高かった評されます。

家治は相当、頭が良かったという説があります。
幕藩体制の地方分権制度に限界を感じていたというロマン説もあります。

家治の頭には中央集権国家の構想がぼんやりあったのかもしれません。
そんな人だったら凄いですね。

 徳川家治の結論を端的に


©狩野典信画

●政治に関心がない
→祖父である吉宗から帝王学を教わる
→将来を嘱望されるも政治に関心が薄い

●趣味将軍
→将棋、書画に没頭
→質素倹約をしつつ趣味に興じる

●将棋はプロ級の腕前?
→現代の将棋連盟から腕前を認められる

●愛妻家
→徳川将軍では珍しい愛妻家
→正室を大切に扱う
→質素倹約路線で大奥を縮小させる

 政治に関心がない将軍

祖父吉宗に溺愛される

家治の父は、9代目将軍徳川家重でした。

家重は疾患による言語不明瞭で政治の表舞台に立ちませんでした。
家重は父であり、家治の祖父である吉宗からも見放されていました。

吉宗は、息子の家重でなく、孫の家治のことを溺愛します。

名君と名高い文武に秀でた吉宗が、家治へ英才教育を施します。
家治は武芸や学問のイロハを吉宗に教わりました。

カリスマである吉宗から、帝王学を1から学んだ家治。
その姿に「将来は名君になるぞ」と皆から期待されていました。

政治に興味がない

吉宗や周りの家臣から期待を受け将軍職に就いた家治。
しかし、将軍職につくと急速に政治への興味を失います。

父、家重の遺言「幕政は田沼意次に任せろ」という指示に従います。
政治は意次に任せて、家治は趣味に没頭します。

家治は「憧れの早期リタイアによるセカンドライフ」を満喫します。
因みに、家治のようなセカンドライフ偏重型の将軍は、徳川慶喜にも見られる特徴です。

徳川家の権力衰退

家治は政治に関心がなく、表舞台に出ません。
9代目家重~10代目家治の時代はリーダーが不在の組織でした。

長らく政権のトップが表舞台に出てこないことが徳川家の権力を弱体化させる元凶です。

家重時代から、農民一揆が続出し、家治の時代も収まることはしりません。
世の中には賄賂が横行したりと風紀が乱れます。

商業の自由化が推進され、徳川家の影響力が弱まります。

趣味将軍・家治

セカンドライフを満喫

家治治世では、徳川家の影響が弱まります。
江戸の世は風紀が乱れ、社会が混乱。

セカンドライフを満喫する天下の将軍、家治には社会の憂いは眼中にありません。
それまでの将軍家が築いた貯金で家治はのうのうと趣味に没頭。

家治は政治にノータッチで将棋や書画を嗜みます。

質素倹約

家治のライフスタイルはあくまで質素倹約です。
自由奔放、趣味に没頭しますが、思想は吉宗路線です。

慎ましく趣味に没頭します。

将棋大好き

家治は趣味の中でも将棋が大好きでした。
政治よりも、目の前の棋譜に夢中です。

将棋の腕前はかなりのものだったそうです。
家治の棋譜は現代の将棋連盟からも認められています。

先見性があったのか?

将棋が強く、聡明であった家治。
それを政治に活かせば、善政が敷けたと思います。

少なくとも先代の家重よりかは政治力があるように見えます。
ただ、政治の表舞台には姿を現しません。

この頃イギリスでは、産業革命が始まっていました。
家治は「江戸幕府の先が長くない」と予測していたのかもしれません。

江戸幕府はもう詰みだ。それなら趣味を満喫しよう!」と時代を先どっていたのかもしれません。

愛妻家・徳川家治

徳川将軍家の一夫多妻制

徳川将軍の通例は正室(1人)と側室(多数)の一夫多妻制です。

正室は政略的な意味が含まれました。
正室との間に子供を創ることは少ないです。

将軍の好みは側室で叶え、跡継ぎは側室が産むのが風習でした。

徳川将軍家は「大奥」という将軍以外は男子禁制の居所を用意します。
大奥には沢山の美女が居住しています。

大奥で将軍のお眼鏡にかなった美女を将軍の夜のお伴にします。
将軍直系の跡継ぎを確保するのに江戸幕府は必死でした。

愛妻家・家治

一夫多妻制の江戸の世にて、家治は屈指の愛妻家でした。
家治は政略結婚で娶る正室をとても愛します。

しかし、正室との間に、男の世継ぎが出来ませんでした。

直系跡継ぎの不在を心配され、家臣に強制的に側室を持たされます。
「私は妻は独りで充分だ。側室は世継ぎを作るためだ」と側室を娶り、世継ぎが出来ると側室には会いませんでした。

家治は大奥の経費を削減しています。

一夫多妻制が当たり前の時代に、1人の女を愛す男。
やはり、家治はかなり先見的に未来を見ていたのかもしれません。

家治の死

徳川家治は1786年に亡くなります。
家治の死には、田沼意次の陰謀説などが所説あります。

一般的には心不全でなくなったことになっています。
享年50歳でした。

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