いじめ問題と親の責任

主張、意見

「学校に通う必要はない」と主張しています。

小学校~大学まで通い、勤勉に励み、友達に囲まれることは幸せです。
しかし、全ての人が安泰に、学生生活を謳歌できるとは限りません。

学校は「陰湿ないじめ」や「学業への拘束」という負の側面もあります。
学校は閉鎖的なコミュニティということも考えなくてはいけません。

今回の記事では「学校といじめ問題」に関して考察します。

いじめ問題はなくならない

学校はいじめ問題と表裏一体

平成28年の『文部科学省によるデータ』で取り上げられた「いじめ問題」に関するデータをみます。

データでは全国36,364学校で「いじめが認知された学校」は25,699校です。
約70%程の学校がいじめ問題を認知しています。

いじめを認知している学校では「1校当たりのいじめ」は平均8.6件です。
1校あたりのいじめ件数を踏まえるといじめの認知のない学校にも潜在的にいじめがあるというのは容易に推察されます。

いじめの線引きは難しいです。
少なからず小中学生の間にいじめに近い行為を体験、目撃した人はほとんどでしょう。

いじめのない平和な学校

子供の純粋無垢な心は時として、残酷な一面を覗かせます。
その残酷な一面を持った子供が集うところにいじめが生じます。

「いじめのない平和な学校」は、「戦争のない平和な世界」と同レベルの難易度です。
いじめの現場に、我が子を放り込むことは、リスクを伴うことを保護者は把握するべきです。

子供の一生に、責任を追うことのない教員へ丸投げをするのは、もってのほかです。
教員が年間に数十名の子供の命に責任を持たせるのは比重が重すぎます。

子供のいじめを守る防波堤は親であるという原則です。
学校、教員に責任転嫁しても子供のいじめはなくなりません。

いじめから子供を守るには

いじめを生むシステム

いじめはなくなりません。
悲惨ないじめを生むのは「子供が学校へ通うのは義務」という誤った思考に縛られることです。

学校を抜け出した子供に対して「不登校」という負のレッテルを貼る輩もいます。
そうした負のレッテル貼りが、子供を閉鎖的なコミュニティに縛ります。

いじめを瀬戸際で防ぐには「学校へ通わせない」という手段を持つことです。

子供が辛い想い背負い、学校へ通う必要はありません。

我慢ではなく黙殺

いじめを受ける子供はどこかへSOSを発信しています。

愚鈍な親は子供へ我慢を強いて、学校へ通わせます。
それは我慢ではなく、いじめの黙殺です。

親がいじめを黙殺すれば、子供は救いの手がありません。
学校、教員は始めからあてになりません。

親の務め

いじめに対する親の務めは「子供は学校が全て」という考えを捨てる所からです。

親の務めは「学校も1つの選択肢」という考えを与えてあげることです。

これからの学校は「教育を受ける選択肢の1つ」です。
学校の在り方は「豊富なレールの内の1つ」なのです。

これからの世代の子供たちは「必ずしも学校へ通うことが正しい」とは限りません。

いじめを受ける子供が「子供へ行かない」という選択をする手助けをするべきです。

子供は、言葉が無くても、親の意向をよく汲み取ります。
無意識的に大人が、子供へ、学校に行くことを強要してはいけません。

学校がいじめと残酷な現場という側面を持つこと認識する必要があります。

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