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実存主義の申し子「 ジャン=ポール・サルトル」

哲学者 近現代編

20世紀を代表する哲学者「ジャン=ポール・サルトル」をまとめます。
サルトルは実存哲学の申し子とされ近現代哲学者の代表的な人物です。

サルトルの考えは「人生とは何ぞや」を深く探求し、多くの人に影響を与えました。
大戦後の動乱の世において、支持された彼の人生観は深淵で濃厚です。

無神論者であるサルトルの哲学は日本人との親和性は高いです。
戦後の実存主義を知る上では外せない哲学者の1人でしょう。

サルトルってどんな人?

サルトルの生い立ち

サルトルは1905年フランスのパリに生誕。
父親を早くに亡くし、大学教授の祖父に育てられました。

サルトルは祖父の影響を受け、幼い頃から学問の道を探究します。
その後も、哲学・文学の領域に啓蒙活動を広げます。

幼少期のサルトルは3歳にして、右目を失明。
幼い頃より隻眼での生活を強いられました。

晩年には、左目の視力を失い、盲目で生涯を終えます。

内縁の妻はボーヴォワール

サルトルの内縁の妻は作家、哲学者の「ボーヴォワール」です。
ボーヴォワールも世界的な思想活動家として知られます。

彼女は女性解放運動を訴え「フェミニズム問題」を推進します。

知の巨人による世紀のビックカップルは映画化もされています。

「人間の生き様」を語るサルトルと「女性の権利」を訴えるたボーヴォワール。
2人の関係は特質的な愛の形として後世に語られています。

ノーベル賞受賞を拒否

サルトルは1964年にノーベル文学賞を受賞します。
しかし、彼はその受賞を拒否しています。

自分の意志でノーベル賞を拒否した初めての人とされています。
拒否した理由には諸説あります。

「いかなる人間も生きながら神格化されるには値しない」
「ノーベル賞の受賞による権威づけはブルジョア階級の習慣」
「ダイナマイトという非平和的な発明へのアンチテーゼ」

階級の往来

サルトルは、ブルジョア階級の出自です。
それに対し、ブルジョア階級の権威づけを危惧する点は面白いです。

サルトルは、社会主義的側面から階級的格差を否定していません。
誰しもがブルジョア階級に飛び越える世の中を求めていました。

ノーベル賞という権威づけは、階級の往来をなくすと考えたのでしょう。
彼はブルジョア階級とプロレタリア階級の隔たりを否定しました。

実存主義

実存は本質に先立つ

サルトル哲学の根本は実存主義です。
実存主義と「生きている自分の存在である実存を中心とする哲学」です。

自分の存在である実存」という考え方は、当時はかなり衝撃的でした。

「人間は神様が創造されしもの」なのです。
実存主義は「神が創造した」という形而上から脱却します。

有神論と無神論

有神論者は「人間は神の示された道を歩むべき」という本質を頼りに行きます。
有神論者は「本質(神の示した道)が実存(自分)よりを先立つ」訳です。

無神論者は、神がいないので、本質部分を用意出来ません。

サルトルも無神論者のため、サルトル哲学には本質(神の示した道)がありません。

サルトルは「人間は何者でもなく、本質を自由に作り出すことができる」と考えます。
これが『実存は本質に先立つ』ということです。

人間がここにいる事実は、人間がどう生きるかよりも先立つ
これがサルトル実存主義の根本です。

『人間は自由という刑に処されている』

サルトルは「人間の本質は、自由に創り出せる」としています。
しかし、人間は「自由の代わりの代償」を払います。

その代償が責任です。
人間は生まれながらに責任という鎖に繋がれます。

「自由という責任」をサルトルは「自由の刑」と呼びました。

全ての人間は自由の刑に処されてます。
サルトル哲学において「自分には選択の自由がない」という逃げ道は通用しないのです。

アンガージュマン

サルトルは「自由の刑」に処される人間へ解決策を提示しています。
サルトルが提示した解決策は積極的な社会参加です。

「自分の居場所を社会に拘束する必要がある」と主張しました。
その姿を「アンガージュマン」呼びます。

対自存在

サルトルは「人間は自分の存在意義を問える主体」と考えました。
そして、人間という主体を「対自存在」と定義します。

「対自存在」は自分の存在、現状に満足することが出来ません。

サルトルは「対自存在は、今の自分を作り変えていく存在。未来に自分の望む存在を投影する」と唱えました。

人間の在り方が理想を追い求める存在であるということです。
自分の存在意義を問うことのできる主体であり、その主体は理想を追い求めます。

結論

「人間が皆、自由の刑に課せられている」というのは痛烈です。

圧倒的弱者にも全て適用されてしまいます。
これには、留意する必要があります。

それはサルトルの出自がブルジョア階級であることが尾を引いているのかもしれません。

弱者の線引きは曖昧です。
現代では国家が身の保障するところが自由の刑の線引きではないでしょうか?

そういう意味では日本人のほとんどが自由の刑に処されていいます。

サルトルは20世紀における知の巨人です。
もっと深く勉強したくなりますね。

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