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ノスタルジーに包まれる旅 日本で最も有名な廃墟「軍艦島」

ふとノスタルジーに包まれたい時は、廃墟を巡る旅に出るべきです。
廃墟に想いを馳せると止まった時間に還ることが出来ます。

今回は日本で最も有名な廃墟である「軍艦島」を紹介します。
軍艦島は世界遺産にもなるほど著名な廃墟スポットです。

島内は一部を除いて立ち入り制限が続いています。

軍艦島(端島) 長崎県

日本で最も有名なゴーストタウン

端島は明治から昭和にかけて海底炭鉱で栄えた島です。

軍艦島と名で知られ、世界文化遺産に登録されています。
現在は観光資源としてツアーを組まれるなど日本で最も有名なゴーストタウンです。

軍艦島への探索は一部を除き禁止されています。
立ち入り禁止ですがGoogleストリートビューだと島内を散策できます。

軍艦島の歴史

明治に入ると採鉱目的で島が開発されます。

三菱社が買い取り、以降100年間、三菱の私有地です。
現在は三菱マテリアルから長崎市が継承して管理しております。

大正時代

日本で最初の鉄筋コンクリート造の集合住宅が建設されました。
端島の見た目が軍艦土佐に似ていることから「軍艦島」と呼ばれます。

軍艦島は日本の近代化を支える炭鉱の1つです。
当時から日本の近代化の象徴として存在感を発揮しました。

炭鉱で働く労働者には手厚い福利厚生、島内の文化、教育、医療水準は国のトップクラスに位置しました。

大戦中

第二次世界大戦では石炭出炭量が最盛期を迎えます。
この頃には大量の人的リソースを投入し積極的な開発を促します。

採掘現場では厳しい労働が強いられます。
多くの炭鉱労働者が死亡し、住民の40%近くが死亡します。

朝鮮人労働者の入植など戦後の火種となる問題を抱えています。

戦後

戦後は島内の労働環境、生活環境の整備が進み人口が増加します。

島内では職員と鉱員の差別解消が進められます。
しかし、手狭な島内では住居スペースの広さで暗黙に階級格差が示されました。

その後、1960年に島内では最盛期を迎えます。
教育施設、娯楽、医療機関、各種店舗が揃いました。

面積の狭い、軍艦島の文化水準が日本のトップを走るという黄金時代です。

軍艦島の衰退

軍艦島の衰退

主要なエネルギーが石炭から石油へ移行。
エネルギー政策の転換を受け、軍艦島の石炭需要は減少します。。

最盛期は5000人以上を誇った人口も徐々に減り、1974年に閉山。
閉山に伴い、島に残っていた2000人が島を去ります。

狭い空間に高い都市機能を備えたことから「理想郷」と称されることもありました。
しかし、熾烈な労働環境など闇の部分も残ります。

島内は未だ、閉山時のまま残されています。
時を止めたまま、現代に取り残されています。

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