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0知識から「パレスチナ問題」をわかりやすくまとめる

パレスチナとイスラエルの対立は半世紀以上に渡り続いています。
両者の溝は未だに埋まらず、激しい戦闘が起きています。

アラブとユダヤの民族争いは血で血を洗う凄惨な戦闘へ。

今回はパレスチナ問題の発端、過程、現状をまとめます。
0知識から「パレスチナ問題」を学んでいきましょう。

イギリスの「三枚舌外交」が元凶

イギリスの三枚舌外交

現在のパレスチナとイスラエルを巡る問題及び、長きに渡る中東の情勢悪化はイギリスの外交政策に起因します。
世界史を学ぶと必ず登場するのが「イギリスの三枚舌外交」です。

近現代に世界史においてイギリスの三枚舌外交は暗い影を落とします。

三枚舌外交とはイギリスが三者三様の密約を交わし、現地に混乱を招いた政策です。
この密約が契機となりパレスチナは現在の混迷に至ります。

それでは、それぞれの密約をみていきましょう。
イギリス外交の酷さが伺えます。

一枚目の舌 「マクマホン書簡」

イギリスのパレスチナにおける一枚目の舌が「マクマホン書簡」です。
マクマホン書簡は第一次世界大戦中に結ばれました。

マクマホン書簡は「パレスチナにおけるアラブ人の国家建設を約束するもの」でした。

当時、パレスチナはオスマン帝国の支配領域です。
オスマン帝国はイギリスの敵国であり、イギリスはどうにかオスマン帝国の戦力を削ぎたいと考えていました。

イギリスはオスマン帝国領域内パレスチナ地域でアラブ人の反乱を企てます。
内部からの崩壊を図る作戦でした。

パレスチナのアラブ人は「アラブの国家建設を約束」にオスマン帝国内で反乱を起こします。
→アラブの反乱(1916年)

結果、オスマン帝国はアラブ人の反乱に苦しめられ敗北します。

 

二枚目の舌 「バルフォア宣言」

イギリスの二枚目の舌が「バルフォア宣言」です。
これはも第一次世界大戦中にユダヤ人との間に結ばれた政策です。

ユダヤ人は国家を持たない民族でした。

19世紀後半、世界に散ったユダヤ人の中で聖地エルサレムへ集う運動が起きます。
これがシオニズム運動です。

イギリスはエルサレム帰還を熱望するユダヤ人との間に「ユダヤ人の国家建設」を約束します。

イギリスは第一次世界大戦で経済的に疲弊していました。
ユダヤ人の国家建設と引き換えにユダヤ人から戦争資金を引き出すことを画策します。

そして、あろうことかイギリスがユダヤの国家建設を約束した土地はアラブの国家建設予定地でもありました。
限られた土地を二重で約束するという無謀な政策です。

イギリスはアラブとユダヤの利権を一挙に獲得しようとしました。
これがとんだトラブルを生みます。

 

三枚目の舌 「サイクス・ピコ協定」

イギリスはアラブ人とユダヤ人との約束を進めます。
その中、フランスとの三枚目舌外交を実行します。

三枚目の舌が「サイクス・ピコ協定」です。

同盟国であるフランスと自国の利益を守りたいイギリスはオスマン帝国領土をフランスと山分けする約束をします。
第一次世界大戦で戦勝国となる英仏は帝国領土を分割することになります。

アラブ、ユダヤ双方との約束を反故に裏で着実にパレスチナの地を手に入れようとしていたのです。

イスラエル建国まで

第一次世界大戦後

第一次世界大戦は連合国側(英・仏)が勝利を収めました。
オスマン帝国が支配したパレスチナを含む中東はサイクス・ピコ協定にて連合側が分割します。

イギリスはアラブ人、ユダヤ人との約束を反故にします。
フサイン=マクマホン協定により建国を約束されたアラブ人は暴動をおこします。

アラブ人の暴動に巻き込まれたのはフランスでした。
建国の土地がフランスの手に渡ったのでアラブ人は怒りの声をフランスにぶつけます。

アラブ人の暴動に肝を冷やしたイギリスは慌ててアラブ人国家を建設します。
暴動を起こしたアラブ人にヨルダン川東岸を渡し、現在の「ヨルダン」が設立します。

 

イギリスの撤退

第二次世界大戦後まではヨルダン川東岸はヨルダン。
西岸(パレスチナ)はイギリスが支配下に置きました。

第二次世界大戦後、大戦にて疲弊したイギリスは中東における支配力を失います。
ヨルダン川西岸も無責任に放り出し、国連に処遇を委ねます。

ここからパレスチナの動乱ご発生します。
イギリスが途中で放棄したことにより、パレスチナ問題は泥沼化していきます。

 

イスラエル建国

20世紀のシオニズム運動によりユダヤ人はユダヤ国家を求めました。
第一次世界大戦でイギリスに約束を反故にされた結果、ナチスドイツのホロコーストという惨劇が起きました。

ユダヤ人はホロコーストの発生によりユダヤ国家の必要性を一段と高めます。

国連はイギリスなきパレスチナにおいて、ユダヤとアラブの国を分割する採択を取ります。

パレスチナの分割案(国連採択)
イスラエル56%
パレスチナ43%
国連管理1%(エルサレム)

国連の採択によりパレスチナの土地にアラブ国家とユダヤ国家が誕生します。

両国家ともユダヤ教、イスラム教ともに聖地であるエルサレムが焦点でした。
聖地であるエルサレムは国連管理に入りました。

国連採択により1948年にイスラエルが建国されます。

 

▽イスラムに関する記事

中東情勢を学ぶ 【中東情勢】「イスラエル」アラブにあるユダヤ人の国

中東戦争

中東戦争による混乱

イスラエルが建国されると中東のアラブ諸国が反発します。
アラブ諸国は元来、アラブ(イスラム)の土地に異教であるユダヤの国家が建国されるのが許せません。

アラブ諸国はパレスチナを支持し大規模な戦争が勃発。
エジプト、シリア、ヨルダン、レバノン、イラクとイスラエルは交戦します。

劣勢のイスラエル側には欧米諸国の支援が入りました。
ユダヤ人の豊富な資金が欧米の支援を勝ち取ります。

中東戦争は第一次から第四次まで続き、パレスチナとイスラエルの抗争はまだ続いています。

 

イスラエルのエルサレム支配

中東戦争を重ねる度にイスラエルは支配領域を拡大しています。
今では当初の国連採択を大きく超え、パレスチナの領土は限定的。

イスラエルは聖地エルサレムも実質的に手中に治めています。
更にエルサレムを首都と宣言しています。

国連、並びに国際的にはイスラエルの首都はテルアビブと位置づけられています。
しかし、先般アメリカのトランプ大統領が首都エルサレムを認めました。

アメリカが首都をエルサレムと認めることに対して、アラブ諸国はいい思いをしません。
聖地エルサレムを巡り中東情勢の緊張は一気に高まります。

 

現在のパレスチナ問題

パレスチナ難民

イスラエル建国から勃発した中東戦争。
この戦争は大量のアラブ人難民を発生させました。

戦禍を逃れたアラブ人は独立国家の建国を目指します。
中東戦争で発生したパレスチナ難民が今でも独立国家を目指す運動を続けています。

パレスチナ難民の運動体はパレスチナ解放機構(PLO)を設立。
PLOが主なパレスチナ独立の旗振り役です。

PLOの代表者はヤーセル・アラファトが指導者の位置に就きます。
日本では「アラファト議長」という呼称で知られています。

パレスチナ難民はイスラエル領域内のガザ地区とヨルダン川西岸地域に集いました。
他のアラブ国家の支援もあり自治区を確保します。

ここからPLOとイスラエルの間では武力衝突が頻繁に起こります。

 

終わらない戦い

イスラエルとパレスチナが最も距離を近づけたのが1993年。
アラファトの宥和的指導により1993年に「オスロ合意」が結ばれます。

オスロ合意ではイスラエルによりヨルダン川西岸地区とガザ地区の自治が認められました。
パレスチナの事実上の独立を認める流れです。

しかし、穏健派による対話路線を良く思わないパレスチナ過激派組織が邪魔をします。
イスラエル、パレスチナ両国の間で過激派組織が暴走。

イスラエルの過激派はパレスチナを虐げ。
虐げられたパレスチナ難民はテロ行為で応戦。

オスロ合意にて近づいた両国間の関係はいつの間にか元の木阿弥に戻ります。

現在はイスラエルが軍事力と経済力を背景に囲い込み政策を続けています。

 

パレスチナの分裂

パレスチナはアラファト亡き後、求心力のあるリーダーを欠きます。

PLOは穏健派のファタハと過激派のハマスに分裂。
パレスチナ内が一枚岩とならずにイスラエルとの軋轢は増します。

ファタハ・ハマスの分裂によりイスラエルとの講和交渉は難航しています。

ファタハ
→穏健派(イスラエルと対話路線)
→ヨルダン川西岸を支配
→イスラエルによる入植政策を受ける

ハマス
→過激派(イスラエルの存在を認めない)
→ガザ地区
→イスラム原理主義
→軍事的行為もみられる

パレスチナではその他にも共産主義が手を伸ばしており情勢は悪化。
今後とも恒久的な中東の平和は難航していきそうです。

 

 

中東情勢全体に関しての記事
中東情勢を学ぶ 【中東情勢】中東諸国の勢力図と各国を解説

 

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