ギリシャ悲劇最高傑作『オイディプス王』のレビュー

ギリシャ悲劇の『オイディプス王』をレビューします。
『オイディプス王』とは、古代ギリシャ3大悲劇詩人の1人であるソポクレスの作品です。

『オイディプス王』は古代ギリシャ紀元前427年頃にソポクレスによって書かれた戯曲です。
現代においてこの作品への評価は、ギリシャ悲劇の最高傑作とされています。

今回は劇中において圧倒的な存在感を示すオイディプスの「両極性と罪」に注目していきます。

『オイディプス王』の解説

オイディプスの両極性

『オイディプス王』の最大のポイントは、オイディプスの両極性です。

オイディプスは劇の冒頭で、テーバイの危機を救い民から信頼をえます。
疫病に苦しむ民の嘆願には神のように自信を持ち対処しています。。

このように劇の冒頭でのオイディプスは、逞しく信望の厚い王としての姿が描かれます。

対照的な姿

物語が進むにつれオイディプスの両極性が浮き彫りになります。

彼は父を殺し母と交わり、恥ずべき子供をつくります。
オイディプスの罪はみずから呪われた身となり館に閉じこめられる男とは対照的でした。

この両極性こそがこの作品の魅力です。

オイディプスの罪

結果的に、父を殺し母と交わるという残酷な運命にあったオイディプス。

父を殺し母と交わった罪は、この物語の以前の出来事です。
この劇中での彼の罪としては重要ではありません。

この劇での彼の罪は、真実を指摘した預言者に「ラーイオス殺害の殺害に加担した罪」と「オイディプス追放の陰謀の罪」を被せようとしたことです。

更に、オイディプスはこれまでに信頼していたクレオーンに、確たる証拠もないのに謀反の疑いを掛けて死罪を科そうとしました。

オイディプスの傲慢さ

オイディプスの罪から分かるようにオイディプスは傲慢です。
オイディプスの傲慢さは彼の激しい気質を意味します。

物語が始まる前、ラーイオスを殺害する場面。
些細な屈辱に対し、皆殺しという倍以上の仕返しをするという行為からも彼の性格の激しさは伺えます。

一見すると、オイディプスは、運命または神の筋書きどおりに行動し破滅的な行動を取るようにみえます。
しかし、ソポクレスは、激しい気質を示唆し、描きだしています。

この作品におけるオイディプスの圧倒的存在感を示したのは、ソポクレスの巧みな劇構成によるものだともいえます。

『オイディプス王』の感想文

屈強さと脆弱さ

物語の前半では、オイディプスから圧倒的な屈強さを感じます。
衰弱する自国の中で確固たる意志の強さが目立ちます。

オイディプスのそれぞれのセリフには覇気があり、他の登場人物を圧倒していました。

しかし、物語の後半に入るとオイディプスの雰囲気は一転しました。
テイレシアス預言の通り、オイディプスが父であるラーイオスを殺害し、母であるイオカステーと結ばれたことは彼の屈強さを挫きました。

後半のオイディプスは、屈強さが影を潜め「脆弱な王」としての姿に変わりました。
この前後の対比関係は物語が進む中で加速度的に明確になります。

オイディプスの運命

後半のオイディプスの脆弱な姿は、彼の避けられない運命の大きさでしょう。

この物語は、オイディプスが自身の運命とどう対峙するかをテーマにしていると感じました。
オイディプスが、真実を追い求めていく過程で徐々に自分の運命と対峙するという構造が見どころでした。

オイディプスへの私見

僕はオイディプスを責めることは出来ないと考えました。
残酷な運命に振り回された彼を責めることは、あまりにも冷徹です。

私はオイディプス自身には、大きく欠落した部分はないと思いました。
むしろ、真実を知り、立ち崩れる彼の姿に、避けられない運命への恐れと何もできない人間の無力さを感じました。

物語の最後の合唱隊の言葉が印象的です。

「世に聞こえた謎を解き、勢威ならぶ者なく、国人のだれもその幸運を見て羨まずにいられなかった者が、なんとおそろしい不幸の大波に巻き込まれたことか」

ここからも抗うことの出来ないオイディプスへの同情と人間としてのオイディプスへのはかなさを感じさせます。

物語全体の感想

首題は「父親を殺し、妻が実の母親である」という、現代にも通用するようなドラマティックな展開です。
エディプスコンプレックスと呼ばれる通念にもなっており、時代を経てこの作品が親しまれている所以が理解できました。

真実を追求しようとするオイディプスと、それを阻止する他の登場人物による臨場感あふれた会話に心を揺さぶられます。

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