核兵器根絶という野暮な理想

「核兵器根絶という野暮な理想」を議論します。
人類は不可逆的な滅亡への道を辿っています。

地上が核の傘に入る中で「核抑止論」は不義として捉えられがちです。
「核廃絶」という理想を唱えるだけでは人類を守り切れることは出来ません。

目の前の現実として世界の平和を担保しているのは「核兵器」です。
その現実を直視して、核兵器については議論をしなければいけません。

核兵器を真正面から考える

核兵器は危険なのか?

「核兵器は危険か?」という問いに対する答えは明確です。

核分裂、融合反応を用いて、膨大なエネルギーを発生させる核兵器は1発の爆弾で壊滅的な被害が生じます。
今まで実戦投入された核兵器は2発で合計20万人規模の死傷者を出しています。
→70年以上前の技術でこれだけの被害

今の技術であれば、核兵器を主要都市に一発投下するだけで都市機能は維持できなくなるでしょう。
「核兵器は危険か?」という問いには「核兵器は危険である」と明確な答えが出ます。

核兵器はなくならない

核兵器は危険であり、危険な兵器は軍事力の象徴です。

核兵器の保有は各国が有事に陥った際に役立ちます。
そのため、核保有国は自ら核兵器を手放すことはあり得ません。

現代において核兵器を手放すことは、拳銃を突き付け合った状態で一方的に手放すほど危険です。

核兵器のない世界を作るには

核兵器のない世界を創るには2つの可能性があります。

1つは核戦争が発生して、地球が更地になること。
2つは核兵器を超える兵器を核保有国が所有すること。

核兵器がない世界はいずれにせよ恐ろしい世界が待ちます。

核抑止論こそが正当である

現状で核兵器への議論をするならば核抑止論を磨くことが一番有効手と考えます。
つまり、「核拡散防止条約の強化」が前提です。

核兵器を保有する国が敵対関係に立つと互いに銃を突き付ける状況です。
まさに「冷戦状態」です。

冷戦状態では実際に血が流されていません。
大規模な世界大戦は核兵器の抑止によって、成立しています。

お互いに銃を突き付けあう間を平和と解釈します。

核兵器の使用は広島・長崎のみ

核兵器が開発されてから実戦投入されたのは広島、長崎のみ。
それ以降は核兵器の脅威を伝達し、実戦投入されることはありません。

いつでも実戦投入できる状態にありながら実戦投入されません。
それは核兵器を恐怖を人類が共有しているからでしょう。

その恐怖を共有している限り核兵器は戦争の抑止力に変わります。

核兵器と共生する世界

核兵器誕生の歴史

第二次世界大戦中、世界の科学力は急発展します。
現在の世界においても脅威となる核兵器も大戦中に開発されました。

核兵器の誕生は人類滅亡への不可逆的な歩みです。
アメリカ、ソ連、ナチスドイツを巡る核兵器誕生の歴史をまとめます。

核拡散防止条約という勝者の特権

第二次世界大戦の戦勝国が取り決めた核兵器に関するのルール。
核拡散防止条約(NPT)は勝者の特権です。

現在の世界はこの戦勝国による核の傘が平和を担保しています。
戦勝国が自ら核兵器廃絶をする理由はありません。

勝者の特権に沿って、今後も世界は動いていくのです。
そして、その代表はアメリカとロシアです。

核兵器禁止条約は無価値

核兵器禁止条約は「核兵器の根絶」を謳った条約です。
キャンペーンをした運動体のICANは2017年にノーベル平和賞を受賞しています。

核兵器禁止条約に約70ヵ国近くが署名しています。
とはいえ、核保有国の加入はありません。

そのため、条約の実行力は皆無です。
「核を無くして平和な社会」という当たり前の理想を謳う条約です。

理想は理想であり、実行力がないため無価値という評価を下しています。

「核廃絶論者は正義」という奇妙な風潮

「廃絶論者は正義、抑止論者は不義」
核兵器を議論する時、このような構図を持ちだす輩がいます。

理想を盾にして、現実論を抑え込む風潮です。
この奇妙な風潮を打破するために核抑止論の正当性を主張します。

日本の核兵器政策の理想と現実をまとめる

日本では「核兵器」の話題はタブーのような風潮があります。
日本人は唯一の被爆国として、野暮な理想に囚われます。

「核兵器=悪の象徴」と思考停止するのが一番危険です。
核抑止論を磨く上で、訴えたいのは理想を捨てて、現実を見るべきです。

目まぐるしく変わる国際情勢にて、核兵器を巡る議論を進めるべきです。

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