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在日朝鮮人の帰還事業という闇深い事業

北朝鮮帰還事業

「在日朝鮮人の北朝鮮への帰還事業」
語られることのない闇深い事業です。

歴史の暗部で、ぐうの音もでない闇深い事業。

「在日朝鮮人を北朝鮮へ帰す」というデリケート問題。
今回は歴史が残した暗部「北朝鮮への帰還事業」を取り上げます。

在日朝鮮人の帰還事業

地獄への片道切符

在日朝鮮人の北朝鮮への帰還事業は1959年~1984年に行われます。
対象者は「故郷である北朝鮮へ帰りたい!」と主張する在日朝鮮人です。

韓国併合から大戦終結の前後まで多くの朝鮮人が日本へ渡りました。

大戦後、朝鮮半島は内戦で二分されます。
そのまま、北朝鮮とは国交が樹立されません。

在日朝鮮人は韓国へは帰還出来ても北朝鮮へは帰還することが出来ません。

帰還に困った在日朝鮮人を日本から北朝鮮へ集団的に帰らせる事業が同事業です。

北朝鮮への帰還

北朝鮮への帰還は片道切符です。
北朝鮮は閉鎖的な国家のため内情が伝えられません。

間違った幻想を在日朝鮮人へ植え付けて、北朝鮮へ帰還させる闇深い事業でした。
大衆の生活レベルは極貧で、劣悪な人権問題を抱えています。

今の北朝鮮報道を鑑みても北朝鮮へ移住する行為は異質。
北朝鮮へ帰還した在日朝鮮人は真実を知らずに、祖国へ帰還していきました。

帰還事業は、数度の中断を挟みながら9万人強が渡航。
勿論、北朝鮮へ1度入国したら、2度とは国外に出れません

帰還事業の背景

帰還事業の背景は「太平洋戦争」と「朝鮮戦争」の2つの戦争が深く関わります。

太平洋戦争では、朝鮮半島は日本の領地でした。
多くの朝鮮人が文化的水準の高い日本への移住を求めました。

太平洋戦争以後は、朝鮮半島で南北の分断が起こります。
朝鮮戦争の惨禍を逃れ、日本へ落ち延びる人もいました。

北朝鮮帰還事業は、2つの戦争が生んだ負の遺産です。

・済州島四・三事件
1948年に起きた済州島での島民の蜂起
反共を謳う韓国軍と南朝鮮にいた共産主義勢力との衝突
6万人の島民が虐殺

・韓国併合
1910年~1945年まで朝鮮半島は日本の統治下
文化的に発展した日本を目指し流入した朝鮮人
太平洋戦争における戦争時の軍事徴用

在日朝鮮人の故郷はどこ?

生活の困窮と故郷への想い

在日朝鮮人の帰還事業が最初に考案されたのは1950年代です。

当時の日本は、まだ戦後の焼け野原が広がっていました。
太平洋戦争以前の文化的水準には戻りません。

日本経済が暗雲と沈む中、在日朝鮮人は生活に困窮。
彼らは言語、経済、文化と多方面で日本の生活に苦労します。

生活に困窮した在日朝鮮人は「故郷へ帰りたい」という人が発生します。

故郷の分断

日本が不況喘ぐ頃、在日朝鮮人の故郷、朝鮮半島では南北戦争が勃発。
故郷が南北、2つの国に分断されてしまいます。

「故郷へ帰りたい」と思う在日朝鮮人の故郷は2つに分断されました。

「北」と「南」の狭間に揺れる

在日朝鮮人には朝鮮半島の南部出身者が大半でした
そのため、帰国を望む多くの人が「南」の故郷を選択します。

とはいえ、「南」の故郷である韓国は朝鮮戦争で荒廃していました。
経済不況の韓国は在日朝鮮人の受け入れに消極的な姿勢でした

当時、過剰な人口を抱えていた韓国。
在日朝鮮人の受け入れは社会経済ダメージに繋がると考えられました。

在日朝鮮人の中にも政情が不安定な韓国への帰国を不安視する人もいました。

共産主義政策

一方で、分断された「北」はソ連式の共産主義政策を取り入れます。
北朝鮮はソ連式の復興政策で短期間に急速な復興を成し遂げます。

北朝鮮は金日成が独裁政権を敷きます。
千里馬運動という民衆を共産主義の旗の下に大量動員して復興にあたります。

在日朝鮮人の中には、いち早く復興を果たした「北」への憧れを抱きます。
復興したとはいえ、経済水準が高い訳ではありません。

在日朝鮮人帰還事業 ぐうの音もでない闇

「地上の楽園」という嘘

「南」か「北」か「在日」かと在日朝鮮人は選択肢の中で揺れます。
その中、北朝鮮への帰還事業を促した組織が朝鮮総連と日本共産党です。

朝鮮総連:北朝鮮を支持する在日朝鮮人の組織
日本共産党:社会主義的変革をめざす政治団体

どちらも北朝鮮に通じた組織で帰還事業への窓口的役割を果たします。
朝鮮総連と日本共産党は「北朝鮮は衣食住が保障された地上の楽園」と宣伝します。

地上の楽園

「地上の楽園」という宣伝が貧困層の在日朝鮮人を焚き付けます。
現在では「北朝鮮での悲惨な生活は敬遠したい」と思うのが本音でしょう。

とはいえ、情報の乏しい昭和の時代です。
この「地上の楽園」という宣伝が流布することになります。

北朝鮮側のプロパガンダは成功して帰還事業が始動します。

日本国籍者も北朝鮮へと渡航した

1959年新潟港から、最初の北朝鮮帰還事業が開始。
1984年に事業が終了するまで、9万人超が北朝鮮へ渡航しました。

闇が深いのは、北朝鮮へ渡航した内、約7000人が日本国籍保持者でした。
在日朝鮮人の日本人妻、その子女が北朝鮮へ渡りました。

ここでは自ら望んで、北朝鮮へ渡った方は仕方ないとしましょう。

ですが望んでもいない地へと旅立った人。
7000人の日本人が北朝鮮へ渡航した事実は闇が深いです。

楽園が地獄に変わる

「地上の楽園」として、もてはやされた北朝鮮。
しかし、箱を開けてみると劣悪な生活環境が待っていました。

数少ない帰還事業を経験した脱北者は語ります。

『北朝鮮へと運ぶ船内だけが、衣食住が安定していた』
『北朝鮮へ着くと、下半身丸出しの子供が出迎えていた』

『船内の料理は、どこか腐った匂いが立ち込めていた』
『船内の料理は豪華ではなかった。だが、北朝鮮へ着くとその料理すら豪勢に思えた』

階級制度の差別

北朝鮮には出身成分という階級制度があります。
この階級制度によって、生活レベルが変わってきます。

帰還事業にて、北朝鮮へ渡った人々は「動揺階層」に位置します。
「敵国である韓国や日本からのスパイなのでは?」と北朝鮮の厳しい監視社会の中で差別を受けます。

拉致や諜報活動に利用

帰還事業は北朝鮮側の拉致行為や諜報活動にも利用されました。
在日朝鮮人の帰還事業における最大の闇です。

日本へ来航した際に、大量の労働党党員が送り込まれました。
結果は、拉致行為や諜報活動の犯罪行為に繋がりました。

朝鮮総連は北朝鮮の工作員への幇助疑惑があります。

日本政府と日本赤十字社

日本政府も加担していた

在日朝鮮人に対する帰還事業には当時の日本政府も積極的でした。

当時の日本は「なべ底不況」というデフレ経済でした。
労働力としてハンデがある在日朝鮮人は国家財政を逼迫します。

在日朝鮮人の高い失業率による社会福祉に政府は頭を抱えます。
在日朝鮮人の高い犯罪率(日本人の6倍)も治安を悪化させました。
その他、朝鮮総連や日本共産党による日本の左翼化への懸念も背景として存在しました。

複合的な要因から帰還事業を政府が後押した背景があります。

人道的問題の解決

帰還事業は党派の垣根を越えた問題として扱われます。
とはいえ、日本と北朝鮮の間には国交がありません。

国交がない二か国間に間に入ったのが「日本赤十字社」です。
日本赤十字社は名前に赤と入りますが左翼組織ではありません。

日本赤十字社の活躍

国、組織の思惑が交錯する中で帰還事業をまとめたのは日本赤十字社でした。
日本赤十字社は中立公平の人道支援組織です。

在日朝鮮人の「故郷へ帰りたい」という声に耳を寄せました。

日本赤十字社は政治、思想の垣根を超え活動しています。
「故郷へ帰りたい」という声に純粋に寄与した団体といえます。

結論

結果的に、日本赤十字社の人道的な行為も北朝鮮によって無下に扱われました。

北朝鮮の帰還事業そのものは拉致や工作行為に利用されてしまったのが闇深い問題です。
混沌とした時代の混沌とした民族問題。

因みに、北朝鮮帰国事業の後期には有名な万景峰号が用いられます。
「地上の楽園」の演出の一躍を担いました。

一度、乗船したら最後、後悔し切れぬ片道切符です。

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