究極の命題「なぜ生きるのか?」を考える

有史以来、君臨し続ける究極の命題が「なぜ人は生きるのか?」です。
この命題の解は未だに解き明かされていません。

人類史上、究極の命題に最も近づいた人物はキリスト、ムハンマド、仏陀などでしょう。

とはいえ、彼らでさえこ「なぜ生きるのか?」への解には辿り着けていません。
もし、生きる理由が判明すれば世界に宗教は1つしか残りません。

探し求めても辿り着けない暗闇の中で人類は営んでいます。
今回は辿り着けないことを前提に「なぜ人は生きるのか?」を考えてみます。

人が生きる意味はない

人工知能が非情な解を算出

「なぜ人は生きるのか?」という究極の命題を考えること。
これは理知的に生きる現代の人間の義務であり本分です。

そう遠くない未来に、人工知能が人類の叡智を遥かに凌駕するでしょう。
シンギュラリティが訪れた時、人間の知能は人工知能に遠く及ばなくなります。

核戦争による世界大戦が勃発を避けていくと、間違いなく超現代的世界は訪れます。

シンギュラリティ後の世界は人工知能があらゆる解釈を加えます。
その時、人工知能は「人間は生きている意味がない」という解釈を下すでしょう。

人工知能は残酷で正確な答えを導きだします。

人工知能の非情な答えにどう対応するか

人工知能が「人間に価値はない」と答えを導くのは遠い未来ではありません。
問題はその答えが出た時に人間がどう対応するかです。

「人間に価値はない」と下された時、我々は人工知能に抗うことは出来ません。
人工知能の非情な答えに、人間が何を想かが重要です。

「座して価値がない烙印を押されるか?」、「価値がないことを受け入れて意義を見出すか?」
この選択は超現代を生きる人間の大きな分かれ目です。

自分の命は崇高で、何かしら運命があるという傲りは今すぐ捨てましょう。
「人間に価値はない」という場所からの出発です。

命の価値は平等にない

実存主義的に言えば「生きる価値は自分で創り出す」ものです。
本質的には人間の命に価値はありません。

大統領の命も難民の命も平等に命の価値がありません。
これは建前や綺麗言を述べているわけでもありません。

どのような命の価値も平等にないのです。
ヒーローやアイドルはどの時代にも必ず新しく生まれます。
それは絶対的な存在などはないという証明。

死は主体的には感じれない

当たり前ですが生きている人間で死を経験した人はいません。
「死」を直接的に体感した人間は存在しないのです。

つまり、自分自身の命の価値(有無)は主体的に感じ取ることはできません。
「生きている実感」というのはありません。

生きている実感

「生きている実感」を人間は味わえません。

なぜなら、死を体感したことないからです。
生死は一体であり、死を体感したことがないのに生を知ることは出来ません。

「生きている実感」は自分の命が絶たれるまで感じ取れません。
「生きている実感」が感じ取れないのだから「なぜ生きるのか?」ということは誰にもわかりません。

答えが分からないことを理解しましょう。

ライフクエスチョンを考えよう

ライフクエスチョン

「なぜ生きるのか?」という疑問をここではライフクエスチョンと定義します。

「広義のライフクエスチョン」は人生を送る上で核となる命題を含みます。
「幸せとは?」、「働くとは?」など生活に関する普遍的な疑問に対する答えを用意します。

1つ1つのライフクエスチョンに向き合うことで人生を見直します。
狭義のライフクエスチョンは「なぜ生きるのか?」という命題を考えることです。
※ライフクエスチョンの答えを解き明かす必要はありません
→というか解き明かすことは出来ないでしょう

MEMO
ライフクエスチョン=「なぜ生きるのか?」

なぜライフクエスチョンが必要なのか?

ライフクエスチョンは人生の指針を作ります。
自分の理想像を把握するために人生における普遍的な疑問を思考します。

ライフクエスチョンは「why」の積み重ね。
禅問答が自分の理想像を明確にしていきます。

自分の理想像が把握出来れば後はそこへ突き進みだけ。
それ程、ライフクエスチョンを思考することは大切な考えです。

心を楽にする哲学

ライフクエスチョンは中国の老子に近い考え方です。
老子思想は現代社会において「心を楽にする哲学」と評されています。

ライフクエスチョンを思考することは「心を楽にする」のが最終目的。
理想の自分像の設計を作るために、ライフクエスチョンを考えます。

広義のライフクエスチョンでは、仕事や進路、パートナー関係など人生の礎を左右するでしょう。

ライフクエスチョンのメリット

費用対効果抜群

ライフクエスチョンの特筆すべき点は費用対効果です。

ライフクエスチョンに考えを巡らす時、何も持たなくて構いません。
読書もセミナー不要です。

胡散臭い情報商材とは一線を画します。
1円も使うことなく、ライフクエスチョンの恩恵を与ります。
まさに裸一貫で始められる、ローリスクハイパーリターンな自己啓発

禅問答の具現化です。

ライフクエスチョンの3大メリット

ライフクエスチョンのメリットは大きいです。
ライフクエスチョンは人生において多くの幸福をもたらします。

ライフクエスチョンのメリットを以下にまとめます。
抽象度が高いので具体的に落とし込むことが重要。

  • 理想の明確化
  • 無駄の削減
  • 幸福の最大

理想の明確化

ライフクエスチョンを思考して得られる1番大きなメリット。
理想の明確化することで生きる目標を手にすることが出来ます。

人間は生きる意味を自分で作り出さなければいけません。
生きる意味を見つけることが理性を与えられた人間の宿命です。

理性を使い、明確な理想を設定します。

「理想の自分」を探す思考は「なぜ生きるのか?」という思考に通じます。
whyを積み重ね、本質的な理想を明確化します。

無駄の削減

理想の明確化に伴い、無駄な時間、労力、お金の削減ができます。
時間やお金は有限です。

限られたリソースをどこに割り振るかがとても大切です。
ライフクエスチョンを思考し、理想を明確化します。

理想が明確化すれば、自分の理想に沿った適切な行動を選択できます。
それは、日常生活の無駄削減に繋がります。

幸福の最大化

幸福の最大化もライフクエスチョンにより得られるメリットです。
ライフクエスチョンは、「自分の幸せとは何か?」を知ることです。

自分の幸福を知り、最大享受するという戦略的な人生のコンセプトに繋がります。
本当に大切にしたい人との時間を築き、自分が幸福を覚える時間を増やせます。

ライフクエスチョンの本質

人間は考える葦

「なぜ生きるのか?」という答えは解き明かすことは出来ません。
しかし、人が生きているという事実は存在します。

そして、人間は、その実存について考えることができる唯一の存在です。

人間は考える葦である byパスカル

パスカルが言ったように人間は考える葦です。
そして、思考をすることは地球上で人間にのみ許された特権です。

それでも、この命題を解き明かすことは出来ません。

必死に考えたけど分かりませんでした…

僕は幼い頃から、「なぜ生きるのだろう?」と考え続けました。

宗教的な概念を用いることなく、その答えを必死に探しました。
しかし、その命題を解き明かすことは出来ていません。

答えを導くことは出来ませんでしたが、新たな発見はできました。
「なぜ生きるのか?」の命題は、そもそも解明することができない

MEMO
なぜ生きるのか?=導きだせない

命題への挑戦はリスクもある

ただ、僕はこの発見に至るまで、多大なる犠牲を払いました。
必死で究極の命題に挑んだ結果、双極性障害という病気も患いました。

そして、病気というフィルターを通じ、再度ライフクエスチョンへ挑みました。
「なぜ生きるのか?」、「幸せとは何か?」、「なぜ働くのか?」というライフクエスチョンを幾度となく思考し続けました。

僕は体系的に生死の淵に立ち「なぜ生きるのか?」という究極の命題を考えました。

あと一歩のところで「死」というリスクを抱えた状況でした。
しかし、そこまでしても「なぜ生きるのか?」という命題は導けませんでした。

ライフクエスチョンを実践する!

いきなり考えると迷宮入りする

ライフクエスチョンは、思考するほど得られるメリットは大きくなります。
思考と比例して恩恵を得ることが出来ます。

とはいえ、普段から思考していない人にとって、ライフクエスチョンの壁は高いです。

突然、「なぜ生きるのか?」、「働くとは何か?」を考え出すのはリスクです。
無理に行えば、必ずや迷宮入りしてしまいます。

方程式のない命題

ライフクエスチョンは答えがないことを考える作業で、方程式は存在しません。
方程式のない命題ですので、常に暗中模索です。

WHYをひたすらに繰り返していく作業なので、行き詰まることは多々あります。
ポイントは肩ひじ張らずに挑むことです。

長期的な目線でライフクエスチョンと向き合っていく必要があります。

生死の感受性をテストする

ライフクエスチョンを思考する前に、生死の感受性をテストしましょう。
どれほど生死について感受性が備わっているかを知る必要があります。

生死の感受性をテストするには、映画や文学に触れるだけの簡単なものです。
文化作品は、生死の感受性を刺激する作品が多いです。

これを利用して、今の自分の感受性をテストしましょう。

持続的な思考

ライフクエスチョンは、一朝一夕に習得することは出来ません
むしろ、死ぬまで考え続けなければいけない概念です。

ライフクエスチョンは、答えの出ない命題と理解すること。
答えを導くことを焦ってはいけません。

答えが出ないことを理解しながらも、本気で考える作業です。
WHYを繰り返せば、ライフクエスチョンにおけるメリットが得ることが出来ます。
→それが戦略的な人生のゴールへ近づきます

究極の命題の仮説

ライフクエスチョンの仮説として、僕が考えている一説があります。

それは、「なぜ生きるのか?」という命題は、死ぬときに初めてわかるというものです。
人生は、長期的にみれば、「なぜ生きるのか?」という命題を探すゲームだと考えています。

このゲームの答えは、自分の命が尽きる時に理解できるのではないかという仮説です。
これは、あくまで仮説です。

死ぬときに、その答えがわかる保証は1つもありません。
しかし、ライフクエスチョンでWHYを積み重ねれば、死ぬときに1つのメッセージとして、答えを明かされると思って生きています。

そのための探求が人生なのだと僕は思っています。
ライフクエスチョン、究極の命題への挑戦は、人類の唯一の使命かもしれません。

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