【中東情勢】「バーレーン」ペルシャ湾に浮かぶ島国

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今回は「バーレーン」です。

バーレーンは中東のアラブ国家です。

ペルシャ湾に浮かぶ島国
サウジとはキング・ファハド・コーズウェイという全長約24kmの橋で結ばれる

中東、西アジアでは面積、人口ともに最小規模です。

治安は全土でレベル1の危険度です。

海外から多くの観光客、ビジネス客が訪れます。
シーア派は居住区による過激化した若者と治安部隊との衝突が散発しています。

治安
近年は概ね安全

バーレーンの基本データ

バーレーンの成り立ち

バーレーンは1780年代に現在の王家であるハリーファ家がカタールから移住しました。

その後、ハリーファ家による同地の支配が始まります。
ハリーファ家はサウジのサウード家、クウェートのサバーハ家の同族です。

第一次世界大戦前後はイギリスの支配下に降ります。
以後、1971年に現在の国家であるバーレーンが建国しました。

バーレーンの諸データ

バーレーンの人口は約150万人。
人口は右肩上がりで増加しています。

首都、最大都市はマナーマです。
中東諸国では最小面積、最小人口です。

 

バーレーンの経済

バーレーンの経済は石油業と金融業に依存します。

石油産業は中東でもいち早く、石油の採掘が行い発見された国です。
石油資源の枯渇も噂されますが、近年も新たな油田開発に成功しています。

経済の石油依存は高く、GDPの約30%以上です。

近年は石油産業からの脱却を図るべく金融事業を展開しています。
島国であり、ペルシャ湾の要所であり金融センターの確立に面しています。

中東ではドバイ、カタールに次ぐ金融都市です。

 

バーレーンの宗教

住民の半分以上が外国からの出稼ぎ労働者です。
バーレーン国籍の信徒は99%以上がムスリムです。

王家、特権階級層がスンニ派であるのに対して、多くの国民がシーア派です。
そのため、庶民による暴動は起こりやすい環境です。

金融都市を標榜しており、多くのビジネス客、観光客が訪れます。

そのため、宗教的規制はとても寛容です。
飲酒、女性の肌の露出なども認められています。

中東では最も女性の社会進出が進んだ国として位置付けられます。

 

バーレーンの政治

バーレーンの政治

かつてはハリーファ家による絶対君主制でした。
その後、国民の暴動が続き、立憲君主制に移行しています。

君主には首長ではなく国王として、ハリーファ家が位置します。

司法権、参政権など独立していますが、任命権は君主に強くあります。

 

バーレーンの外交

バーレーンは中東、欧米で良好な外交関係を築きます。

実質的にサウジの保護国としての位置付けです。
親米路線を踏襲し、イランとは距離を取っています。

近年はサウジに連なってイランとの国交を断行しています。

軍事

軍事はアメリカ第五艦隊の司令部が置かれています。
アメリカ軍の影響力が大きいです。

 

2011年バーレーン騒乱

バーレーン騒乱

2011年にアラブの春に基づいて、バーレーンでも民主化運動が勃発します。
死者93人、逮捕者3,000人近くを出しました。

レンティア国家における本格的な民衆の暴動は湾岸諸国では初の出来事でした。
デモの背景には国家の中枢を握るスンニ派と大衆のシーア派の対立でした。

ハリーファ家ハマド国王による現金支給も発表虚しく、デモが大規模化します。

 

サウジによる鎮圧

ハリーファ家打倒の流れは強くなりデモは増大します。
バーレーン政府は救援要請を湾岸協力会議(GCC)に打診します。

GCCの盟主であるサウジは騒動を治めるために鎮圧部隊を組織します。
サウジ軍を主力する鎮圧部隊は拘束などの強硬手段でデモを沈めました。

バーレーン騒乱において、ハリーファ家は法的改正、人権監視機関の設置を容認しました。

 
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