ナチュラルヒール太宰治が噛みついた文豪たち

太宰治に関するヒール

破滅、再生、堕落を表現する作家といえば太宰治です。
太宰はカタストロフィーと共に後世に名を残した昭和を代表する文豪です。

今回は太宰治を取り巻いた文豪たちとの関係性に迫ります。
多くの文豪と対峙した太宰はナチュラルヒール的な側面を持ちます。

そこから見える太宰治の横顔を覗きます。

芥川龍之介

太宰治に関するヒール

太宰が心酔した作家

芥川は太宰が最も心酔した作家といえます。
敬愛の念はファンという立場を超越しています。

青年期には芥川の有名な口元に手をあてるポーズを真似ていた程です。
太宰は芥川(芥川賞)の影響もあり作家活動を本格化させました。

芥川賞へのこだわり

太宰治と芥川賞は日本の文壇を代表する逸話が多く残っています。
芥川賞の選考を巡って、太宰は文壇を代表する作家と敵対していきます。

太宰は芥川の名を冠する芥川賞を是非とも獲得したいと渇望していました。

芥川賞は芥川の死後、菊池寛により創設されました。
芥川賞は唯一、心酔する今は亡き芥川が太宰を認める賞であった訳です。

芥川賞の選考を通過した際、太宰は「生きてて良かった」と綴るほどの喜びようです。

芥川の死

芥川は1927年、35歳の時に服毒自殺を行いました。
自殺理由は有名な「ただぼんやりした不安」です。

この芥川の自殺は当時、17歳の太宰に深い影響を与えました。
以降、太宰は生涯にて、幾度の自殺を試みています。

芥川の自殺が太宰の死生観に影響を与えているのは頷けます。
芥川の自殺は作家の最期を示すものであり、それを模倣したともとれます。

川端康成

「生活に厭な雲あり」

太宰と川端康成は芥川賞を巡り対立しました。
川端は芥川賞の選考委員でした。

第1回の芥川賞選考で太宰は次席で落選します。
この落選に繋がったのが川端の選評と言われています。

有名な『作者、目下の生活に厭なくもあり』という川端の戦評です。

太宰は突出した才能を持ち、注目の新人作家でした。
しかし、私生活では自殺幇助、薬物中毒など荒廃しており川端はこれを非難しました。

川端としては「芥川の名を新人作家に汚されまい」という想いがあったのかもしれません。

川端の選評に太宰は反発し、川端を批判します。

その後の2人

芥川賞の選考において、ひと悶着あった太宰と川端。
その後はお互いに認め合う姿が見られました。

引き続き、芥川賞を諦めきれない太宰は川端へ献本、懇願状を行うなどすり寄る行動も見せました。

太宰が生活を安定させ、作家としての活動が充実すると川端は彼の作品を手放しに称賛しています。
川端の太宰への称賛が太宰の地位を高めています。

井伏鱒二

太宰の師匠

太宰は学生時代から井伏鱒二の作品に触れ、感化されました。
太宰は小説家を目指すと同時に井伏に弟子入りをします。

井伏は太宰にとって小説だけでなく、生活面の師匠でもありました。
破滅的な道を歩み太宰に手を差し伸べたのも井伏でした。

薬物中毒に陥った太宰を精神病院へ送ったり、結婚の媒酌人を務めています。

「井伏さんは悪人です」

太宰の遺書の中に「井伏さんは悪人です」という有名な一文があります。

井伏は太宰との間に文学の域を超えた師弟関係を築いています。
太宰にとっては破滅的な私生活を支援をし続けた恩人とも思えます。

その恩人に後ろ足で砂をかける行為はどのような真意があるのでしょうか?
もはや語ることのない太宰のこの一文は太宰の屈折さを表しています。

ナチュラルヒール太宰

中原中也

中原中也は太宰治と同世代の作家です。
互いに類まれない才能を発揮し世に出ます。

太宰、中原は他の作家と共に同人誌『青い花』を創刊します。
ただ、太宰と中原が揉めて、一号で休刊しています。

太宰・中原はよくいざこざを起こしています。
酔っぱらった中原が太宰の家に赴き、罵声を浴びせ、太宰が布団で泣く話は有名です。

中原は太宰を「青鯖が空に浮かんだような顔」、太宰は中原を「ナメクジみたいにてらてらした奴」と互いに表現しています。

佐藤春夫

1935年第一回芥川賞にて太宰の存在を知ります。
佐藤は太宰の才能を称賛するも受賞を逃します。

太宰は称賛してくれた佐藤に師事し、二回目の芥川賞に臨みます。
ですが、佐藤の後押しも虚しく、太宰は芥川賞を逃します。

芥川賞落選から太宰は佐藤を批判し、疎遠します。
才能を認めてくれた佐藤をも太宰は遠ざけるのでした。

志賀直哉

太宰の晩年は「小説の神様」と称された志賀直哉と対峙します。
これは志賀が太宰の作品を批評したことを端に発します。

その辛辣な批評を受けた太宰は大先輩であり、文壇のトップに君臨する志賀を痛烈に批判します。
業界内の猛者である志賀にまで喧嘩上等覚悟を貫いた太宰の一貫性は凄まじいです。

志賀と対峙中に太宰は入水自殺します。
これを受けて志賀との間に亀裂を生んだことを悔いています。

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