日本近現代文学 日本文学の興り

日本近現代文学文学の流れをまとめています。
明治以降、日本では文明開化が進みます。

西洋の文学と融合しつつ日本独自の文学を創り出していきます。
時流と共に、形成されていく日本文学の流れを追いましょう。

今回は「日本文学の興り」です。

明治維新は西洋の新しい文明をもたらします。
古典の流れを汲んだ日本文学もも西洋思想の影響を受けます。

キーワード
「森有礼の明六社創設」、「福沢諭吉の学問のすすめ」

日本近現代文学の興り

日本文学の流れの転換点

江戸時代が終わり、鎖国政策は幕を閉じました。
明治時代に入ると欧米の列強が日本との通商を求めます。

明治政府はこれに応じ、鎖国から一転、開国路線を走ります。

明治維新では諸外国との通商に伴い西洋の文化が次々と流れてきました。
日本の知識人は欧米に渡り西洋思想を持ち帰ります。

文学の転換点

西洋列強の文化が流入し、日本文学にも影響を与えます。

江戸時代までの日本文学は漢文体系と紐づいていました。
明治に入るとその体系が新たなものへと変わります。

日本文学の流れの転換点となり、日本近現代文学の興りです。
まずは西洋文学に、日本の書き言葉を組み込んだ新しい文学体系が生み出されます。

森有礼の明六社

日本文学の土台を作った先駆者が森有礼です。
森有礼は、福沢諭吉や新島襄と同じく、明治の6大教育家です。

有礼は薩摩の藩士出身でした。
初代文部大臣を務めた政治家でもあります。

明六社

有礼は「明六社」を創設します。
明六社は西洋思想の啓蒙活動を行う学会です。

日本への西洋文化の浸透は明六社が中心的な存在を担います。
明六社は西洋文学や思想を積極的に日本に普及していきました。

西洋文学の翻訳本が近現代の日本文学の形成の土台です。

有礼は後に、「西洋思想の普及の片棒を担った」という理由で殺害されます。
犯行は、国粋主義という「日本古来の体系に戻ろう」という思想を持つ人でした。

日本文学の流れを創る学士

知識層による指導的役割

時代の転換点となった明治維新では沢山の学士が登場しました。
この頃の学士によって、日本近現代文学の興りました。

西洋思想を日本に庶民に伝え、日本の近代化に貢献します。
学士は異国に渡り学んだものを日本へ持ち帰りました。

福沢諭吉

福沢諭吉は、日本近現代文化史の最重要人物の1人です。
福沢が著した『学問のすゝめ』は近代日本で最も読まれた啓発書です。

『学問のすゝめ』は、現代でいうところの自己啓発本です。

当時は自己啓発の枠を超えて国家の近代的な在り方を説きました。
従来の封建制、儒教を否定し、民主主義を国民に知らせる革命的な書物でした。

諭吉は江戸時代末期から渡米、渡欧し先進的な人物でした。

翻訳本の登場

明治初期は西洋思想の翻訳本が広く普及します。

中江兆民 『民約訳解』
ルソーが著した『社会契約論』の翻訳本、一般意思という概念をもたらす

 

中村正直 『西国立志編』
スマイルズが著した『自助論』の翻訳本、欧米の成功哲学

明治初期には、今までの日本にない概念を一部の知識層が世に伝えました。
個人が西洋思想に触れることを可能にしました。

日本近現代文学の出発 写実主義

坪内逍遥

日本の近代文学の実質的な出発点である坪内逍遥の登場です。
逍遥は1885年『小説神髄』を著しました。

『小説神髄』は、小説の定義をまとめた本です。
この本の定義によって日本近現代文学が出発します。

写実主義

坪内は『小説神髄』の中で、小説は写実的であることを求めました。
写実主義はみたまま、感じたままを現実を再現しようとする文学です。

今まで文学は道徳や功利的な側面を描きました。
オチのある話、ためになる話が良しとされてきました。

二葉亭四迷

二葉亭四迷は、近代文学の父と呼ばれます。
日本の近現代文学として初めての作品『浮雲』を書き下ろしました。

四迷はロシア語に精通し、ロシア写実主義の影響を強く受けています。
『浮雲』刊行以降は、写実主義を中心とした文学作品が世の中へ普及していきました。

逍遥と四迷の登場が日本の文学界を再形成していきます。

結論

日本近現代文学の興りをまとめました。
明治初期は一部の知識層が西洋思想を日本にもたらしました。

今後も西洋思想は日本人が体系的に日本に流入させます。
国内では西洋文化の土台作りが急ピッチで進みました。

文学の世界も激動の時代を迎えます。

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