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岩佐又兵衛の「浄瑠璃物語絵巻」をまとめる

岩佐又兵衛の「浄瑠璃物語絵巻」
同作品は、重要文化財に指定されています。

江戸時代(十七世紀)に描かれたもので、全部で十二巻から成ります。
現在は、静岡県のMOA美術館に飾られています。

今回は「浄瑠璃物語絵巻」の概要解説と見どころについてまとめます。

「浄瑠璃物語絵巻」の概要

岩佐又兵衛

まずは「浄瑠璃物語絵巻」の作者をまとめます。

「浄瑠璃物語絵巻」の作者は岩佐又兵衛という人物です。
又兵衛は、天正6年(1578年)から慶安3年(1650年)までを生きました。

彼は江戸時代初期の絵師であり、又兵衛は通称で、諱は勝以(かつもち)です。
通称「吃の又平(どものまたへい)」ともいわれていました。

父親は荒木村重

又兵衛は、伊丹の有岡城主荒木村重の子として生まれます。
翌年の天正7年(1579年)、父・村重は主君である織田信長に反逆を企てます。

有岡城を拠点として、謀反を企てるも失敗します。
落城に際して、荒木一族はほとんどが六条河原で処刑されます。

又兵衛の出世

2歳の又兵衛は乳母に救い出され、石山本願寺に保護されました。
成人した又兵衛は、文芸や画業などの諸芸をもって主君に仕えます。

御伽衆のような存在として、織田信雄のもとに仕えました。
信雄の改易後、又兵衛は勝以を名乗り、京都で絵師としての活動を始めます。

父、村重も余生では茶人となり、千利休の弟子にもなっています。
荒木一族に芸術家としての血がながれていたのかもしれません。

「浄瑠璃物語絵巻」の特徴

「浄瑠璃物語絵巻」は又兵衛筆とされる絵巻群中、最も色彩の華麗な作です。
物語は義経説話の1つで、奥州へ下る牛若と三河矢矧の長者の娘浄瑠璃との恋愛譚を中心にした内容です。

中世末期には浄瑠璃節として、盲目の法師によって盛んに語られていた物語です。

「浄瑠璃物語絵巻」のあらすじと見どころ

「浄瑠璃物語絵巻」のあらすじ

あらすじは以下のとおりです。

牛若丸が金売り吉次の供をして奥州へ行く途中に、立ち寄った矢矧の宿で長者の姫を見初めます。
想いを述べて契りを交わすが、その翌朝すぐに再会を約束して旅立ってしまいます。

その後、蒲原の宿で病に伏した牛若は吉次に置き去りにされ、宿の女房に殺されてしまいます。
しかし、源氏の家宝があやかしになったり、八幡菩薩・箱根権現が変身したり、跡を追ってきた浄瑠璃姫に助けられたりして命が蘇ります。

やがて奥州から平家追討の軍団を率いて京へ攻め上る途中、矢矧の宿に立ち寄るります。
しかし、すでに姫は家を追い出されて亡くなっていました。

その姫の供養のため寺を建て、追い出した母親を処罰するという物語でした。

作風

又兵衛のえがく絵巻は現代アニメーションのようです。
余白をつくらないように、必要以上とも思われるほど、隙間をすべて色や柄で敷き詰めています。

1コマだけならそれだけの手間をかけるのも理解できます。
ただ、同じシーンが何枚もの絵にわたって続くにも関わらず、ここまで手の込んだ作品を仕上げるのは相当の労力を費やしたことでしょう。

技術的にも、並大抵の作品ではないことが素人目にも理解出来ます。
作品完成には、又兵衛の他何十人もの絵師により、この絵巻を完成にこぎつけました。

この「浄瑠璃物語絵巻」は又兵衛の他作品とはやや画風が異なります。
このことから又兵衛が製作に関与した度合いが他作品に比べ低いとみなされてました。

完成後に本紙を切って新たに絵を挿入したと思われる部分が9カ所あることから、工房での製作の後、又兵衛自身が監修と筆を加えたという見解も近年発表されています。

兵衛が多くの人手やお金をこの作品に注ぎ込むことが出来たのは、松平忠直(徳川家光の従兄)という大パトロンが後ろ盾にいたのが大きく影響していました。
高級で贅沢な画材を惜しみなく使い、大切に扱わました。
そのため、現代に至るまで美しく保存されています。

「浄瑠璃物語絵巻」の見どころ

「浄瑠璃物語絵巻」の印象的な部分は「あやかし」の1つである「烏天狗」です。
浄瑠璃姫を背中に乗せて矢矧の御殿まで送るシーンの1枚で登場します。

この「烏天狗」の迫力、躍動感、細部まで細かく描いた作業の緻密さに、「浄瑠璃物語絵巻」の魅力が詰まっています。
ストーリーと絡ませて、絵巻を楽しむも良し、自分の注目したワンシーンに目を向けるのも良しです。

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