YouTubeチャンネル運営中

「純文学と大衆文学」の違いをわかりやく解説

現在、日本の文壇では「純文学」と「大衆文学」を区別しています。
日本人の国民性は線引きが大好きなのですが、どうやらその性は文学にも及ぶそうです。

「純文学」、「大衆文学」という文学的な線引きは世界的にも珍しい例です。
線引きは曖昧で、これまた日本人らしさを物語ります。

今回は文学における純文学と大衆文学の違いをまとめていきましょう。

純文学と大衆文学の違い

純文学と大衆文学の違い

日本では文学作品に対して「純文学大衆文学」という区別を用います。

両者の線引きには、はっきりとした定義が存在しません。
曖昧な線引きで、作品に影響を及ぼすこともありません。

何のために線引きしているかはハッキリしませんが、ただ曖昧に線引きがされています。
大雑把に分けてみると以下の通りに区別されます。

純文学と大衆文学の違い
  • 純文学
    →作者が読者に媚びない
    →作中の内容より、文体の美しさにこだわる
    →プロダクトアウト
  • 大衆文学
    →作中の内容を中心に構成する
    →読者にとっては敷居が低い
    →マーケットイン

普段、小説を読む上で両者の差異は気にしません。
「この作品は、純文学だなぁ」、「これは大衆文学かな?」などと意識して読む人はいないでしょう。

 

代表的な文学賞は?

芥川賞と直木賞

純文学と大衆文学の差異は曖昧ですが、文壇の中では両者は明確に区別されています。

日本の著名な文学賞では、公募・非公募を問わずして文学の線引きが発生。
小説のカテゴリに加えて、純文学か大衆文学を分別します。

純文学か大衆文学の違いは優劣を下すものではありません。
ただ、そこに線引きが存在します。

日本で最も有名な文学賞である「芥川賞」、「直木賞」もそれぞれ、純文学と大衆文学に線引きされています。

MEMO
芥川賞=純文学
直木賞=大衆文学

作家別に分けてみる

芥川賞作家又吉直樹村田沙耶香西村賢太など
直木賞作家朝井リョウ池井戸潤西加奈子など

純文学・大衆文学に関わらず有名な作家たちがズラッと並びます。
どちらかが優劣がつくということではないようです。

作者によらず作品によって区別されます。
芥川賞作家が大衆小説を書くこともあれば逆もまた然りです。

 

定義上の純文学と大衆文学の違い

何度も伝えているように純文学と大衆文学の明確な違いは存在しません。

昔は、文学賞の選考過程でも線引きが曖昧でした。
大衆文学を扱う直木賞の候補作品が、選考過程で純文学を扱う芥川賞に回されたこともあるそうです。

文学の線引きは曖昧ですが、ここでは無理くり純文学と大衆文学の違いを分けてみます。
曖昧な定義として、まとめます。

純文学

作者が、読者に媚びません。
日本近現代文学の興りからの流れを汲みます。

作中の内容より、文体を如何に美しく見せるかを表現します。
→作中の内容より語感の良さや文体の美しさを問う

芥川、川端、太宰、三島などは純文学作家です。
例:「飼い犬がリンゴを齧った。その歯形は、さざ波をうつ岸のように不安定で、不確かなものであった」

0知識から日本近現代文学の流れをわかりやすくまとめる!

大衆文学

作者は、作中の内容を重視します。
戦後に色濃く派生してきた文学派です。

読者にとって敷居が低く、起承転結がはっきりしています。
読者は作中の内容を楽しみます。
→内容を追求する

平野、中村、尾崎など世間知名度は純文学作家よりは劣ります。
例:「飼い犬がリンゴを齧った。わんこが美味しそうに食べながら、笑いかけてくる」

 

住み分けは曖昧

日本語特有の微妙なニュアンスの違いや文体の複雑さをを巧みに操るのが純文学です。
一方で、内容を重視し、平易な文体で伝えるのが大衆文学です。

要するに、純文学は日本語の文体を楽しむ。
大衆文学はストーリーそのものを楽しめばいいってことですね。

繰り返しますが、どっちか優劣があるものでもないんですね。

関連記事日本近現代文学の流れに関する記事

 

結論

純文学でも大衆文学には違いがあるようです。

とはいえ、読者からしたら楽しみ方が違うだけです。
学者でもない限り文学の差異を意識する必要はありません。

好きな作家の好きな作品を好きなだけ読めばいいのです。
大衆文学で文体の美しい人もいれば、純文学でも飛び切り面白い内容を描く人もいます。

日本人の国民性として線引きが文学の世界にも波及したと認識しましょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。