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世界を二分した東西冷戦をまとめる

鉄のカーテン

大戦後、長らく世界を二分してきた東西冷戦。
ソ連崩壊後も、実質的な対立構造は変わりません。

民主主義と権威主義にそれぞれ重きを置く西側と東側。
かつて、代理戦争を行ってきた両者は今尚、世界で睨みあっています。

今回は大戦後世界を二分した冷戦をわかりやすく振り返ります。
冷戦の背景、原因、経過をまとめていきます。

冷戦の背景

世界大戦後の勢力図

第二次世界大戦後、世界は東西に分かれました。

アメリカを代表する西側陣営、ソビエトを代表する東側陣営です。
西側陣営はイギリス・フランスなどの西欧。
東側陣営はポーランド・チェコスロバキア・ルーマニアなどの東欧。

大戦ではナチスを共通の敵とし、手を取った両者ですが、戦後社会では対立。

この対立を「冷戦」と呼びます。

冷戦は1945年から1989年までの44年間続く軍事的緊張を指します。
実際の米ソ間の武力衝突は起こらず、睨みあい・代理戦争状態が続きました。

鉄のカーテン

鉄のカーテン

冷戦状況下を象徴する表現が「鉄のカーテン」です。
これはイギリス元首相チャーチルが表現しました。

「バルト海のシュチェチンからアドリア海のトリエステまでヨーロッパ大陸を横切る鉄のカーテンが降ろされた」とチャーチルは演説しました。
鉄のカーテンのため、東欧諸国の実情を知ることは出来ません。
鉄のカーテンは欧州分断の象徴として取り上げられました。

冷戦の原因

スターリンの暴走

世界大戦後の欧州はヤルタ協定によって秩序が決められました。
ヤルタ協定は連合国側で作られた戦争終結後の領土の取り決めです。

協定で「はナチス・ドイツの支配領域は自由選挙によって代表する政府を決定する」というものでした。
しかし、この取り決めをスターリンは反故にします。

ソ連が共産党政権の後ろ盾をし、ポーランド、ルーマニア、ハンガリー、ブルガリアなどで次々と共産党政権が誕生します。
自由選挙が行われたチェコスロバキアでも共産党陣営がクーデターを起こし、共産党独裁政権を誕生させます。

ソ連の後ろ盾で誕生した東側国家はソ連の息がかかった国です。

衛星国家

ソ連と西欧諸国の間には次々と共産党国家が誕生します。
これはソ連を取り囲む衛星国家と呼ばれました。

衛星国家を配置することでソ連と西側陣営の間に緩衝地帯を設ける狙いがありました。
スターリンは大戦で侵略戦争の恐怖を肌で感じていました。

自国と敵国を隣接するのを阻むために衛星国家を誕生させました。

トルーマンドクトリン

ソ連(スターリン)の暴走により東側陣営は拡大していきます。
この動きにアメリカは対抗します。

ジョージ・ケナンを対ソ外交の中心人物に据えます。
ケナンはソ連膨張への懸念を提唱して「ソ連の封じ込め政策」を進言します。

当時の大統領であるトルーマンはソ連との対峙を打ち出します。
「自由主義=善・共産主義=悪」というわかりやすい構図を示しました。

冷戦へ突入

核戦争の脅威

「悪(ソ連)」との対峙を決めたアメリカは次なる大戦に備えて軍備を増強します。
第二次世界大戦末期に導入された核兵器の更なる開発を始めます。

核戦力をソ連以上に充実させようとします。

●核兵器の施策
→ソ連を常に射程に入れた核搭載爆撃機の巡回
→モスクワを射程に入れるICBM(大陸間弾道ミサイル)の配備
→世界各地への核配備(潜水艦)

核抑止

アメリカが核兵器の増強と同時に、ソ連も同等の増強をしています。
ソ連にとっては悪はアメリカであり、悪との対峙のために核戦略を練ります。

両者が互いに核兵器を突き付け合う、チキンレースに発展します。
「核兵器という一発投下したら大戦が始まる」という危機感が抑止力となりました。

キューバ危機などあと1歩で核戦争という局面まで陥りましたが、ギリギリのところで核抑止が戦争を回避に繋がりました。

NATOとワルシャワ条約機構

NATO

冷戦に突入していく中、両陣営内では軍事的な結びつきを強めます。

西側陣営はNATO(北大西洋条約機構)を組織します。
NATOは米・英・仏・カナダ・トルコなどの西欧諸国が加盟しました。

NATO加盟国は集団的自衛権を持ち、各国に米国の軍事基地を置き軍事力を増強します。

ワルシャワ条約機構

対する東側陣営もワルシャワ条約機構を組織します。

ワルシャワ条約機構はNATOへの対抗以外にも役割がありました。
ソ連による東側陣営への抑圧行為です。

東側陣営から離反するような動きがあればソ連から軍隊が飛んできます。
実際にチェコスロバキアで民主化運動が発生した際にはソ連軍の装甲部隊が進行しています。

ドイツの東西分裂とソ連崩壊

ドイツの東西分裂

冷戦突入後、東西に二分された欧州。
その中で最も混沌としていた国の1つがドイツです。

大戦で敗戦国となったドイツは統一国家として、国家が再建される予定でした。
通貨発行権などを巡りドイツ自体が西東に分かれます。

首都ベルリンも西ドイツ・東ドイツの支配領域がそれぞれ分かれました。

ベルリンは東ドイツに位置していました。
そのため、ベルリンの西ドイツ領域は東ドイツ内で孤島のように浮かんでいました。

東西ドイツの実情

ドイツが東西に分裂すると明暗ははっきりと分かれます。

東ドイツは企業の国有化、言論統制、秘密警察による拘束など厳しい社会が待っていました。
東ドイツの人々は、自由な暮らしを送る西ベルリンに憧れを抱きます。

やがて東ドイツ国民は西ベルリンへ亡命します。
その動きを深刻にみたソ連は西ベルリンを囲む大きな壁を建設します。

これが世にいう「ベルリンの壁」です。
世界の分断を体現するような壁は冷静の象徴的な存在を果たします。

ベルリンの壁は西ベルリンを周回するように壁がそびえ立ちました。
東ドイツ国民は壁を越えて、亡命すれば東ドイツの衛兵に射殺されます。

ベルリンの壁崩壊とソ連消滅

冷戦の末期になると東欧諸国は相次ぎ民主化運動が起きます。
1989年にかけて、ハンガリー・ポーランド・チェコスロバキアが西側へ離反します。

当時、ソ連を指揮したゴルバチョフは衛星国の民主化を容認しました。
東側陣営の民主化は東ドイツ国民の亡命も可能にしました。

相次ぐ民主化運動により1989年にはベルリンの壁が崩壊、翌年にはドイツが統一されました。

ソ連消滅

衛星国が消滅していき、遂にソ連も崩壊します。
ソ連を構成したベラルーシ・ウクライナなどの国も独立しました。

ソビエト連邦は消滅しロシア連邦となりました。

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