西洋哲学の始祖「ソクラテス」

古代ギリシア哲学

古代ギリシア哲学は万物の根源(アルケー)探しから始まりました。
そこから時代は流れ、ギリシアでは弁論術が流行します。

万物の根源という絶対性からの脱却です。
「人間は万物の尺度である」とプロタゴラスが唱えて、一躍ギリシアでは相対主義の時代が到来します。

相対主義の到来で社会は様変わり。
詭弁が世の中では横行して社会が乱れます。

ソクラテスは私利私欲に溺れた社会を正すために自らの哲学を貫きます。
ソクラテスの登場でギリシア世界の哲学は何段階も上のステージへ駆けあがります。

  1. 善の生き方
    →秩序と調和を重んじる生き方
    →ギリシアの風紀を取り戻す
  2. 無知の知
    →知らないということを自覚しましょう
    →無知と自覚すれば知識に貪欲になる
    →知識に貪欲になれば秩序と調和を取り戻せる

善の生き方

ソクラテス登場の背景

絶対主義から相対主義への移行段階では、ギリシアの政治が盛んになります。
相対主義と政治活動が密着し、弁論術に重きが置かれます。

「如何にして自分の言い分を押し通すか」に焦点があてられる世界です。
詭弁家が台頭して、ギリシアの風紀は乱れます。

乱れたアテネを解放せしめたのがソクラテス(BC470年-399年頃)です。
ソクラテスは西洋哲学の創始者ともされる傑物。

絶対的な善

絶対性が否定される当時のギリシア。
相対性は個人の都合のよい解釈に利用され、詭弁家が私利私欲を肥やします。

ソクラテスは抑圧された絶対性に光をもたらします。
詭弁に対抗するべく、哲学を構築していきます。

ソクラテスの善は秩序と調和の回復を意味します。

無知の知

ソクラテス哲学の鍵

ソクラテス哲学の鍵が「無知の知」。

無知の知は「自分が無知だと知る」ことです。
自分が無知だとしれば、知識に対して貪欲になります。

知識に対して貪欲になれば秩序と調和を取り戻せます。
まずは弁論の在り方を批判して「善く生きる」を目指すのがソクラテス哲学です。

ソクラテス式問答法

ソクラテスは自らの考えを具体的な手法に落とし込んでいます。
ソクラテスが選んだ手法は「問答法」です。

徹底した問答(対話)を通じて、相手に無知を気づかせます。
自称知者であるソフィストと片っ端から問答を繰り返します。

問い詰められたソフィストはwhyの嵐で混乱。
ソフィストは自分の論理に無知が覆い被さることを知ります。

ソクラテス式問答法は「助産術」と呼びます。
ソクラテスは助産師のように手助けするだけ。

デルフォイの信託

ソクラテスが問答法を始めたきっかけはデルフォイでの信託です。
ソクラテスはアポロンの信託で神のお告げを受けます。

「ソクラテス以上の知者はいない」という信託を受けたソクラテスはその信託を問答法で証明します。

当初、ソクラテスは自身のことを知者と思っていませんでした。
ただ、多くのソフィストと対峙した結果、少なくとも「無知の知はある」という理由で信託を受け入れました。

ソクラテスの最後

ソクラテスは風紀の乱れたアテネで長らく活躍します。
彼の画期的な考え方に多くの人が共鳴し始めます。

支持される一方でソクラテスに既得権益を破壊される詭弁家たちは彼を落とし込みます。
ソクラテスは言いがかりをつけられて、裁判にかけられます。

判決は毒殺刑が命じられ、側近は逃亡を画策します。
ソクラテスは「善く生きる」の使命から判決を受け入れ、自ら服毒死を遂げます。

ソクラテスの処刑後、賢人の損失に多くのアテネ人がその誤りに気付きました。

ソクラテス哲学は実質的な一番弟子のプラトンへ引き継がれることになります。

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