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アメリカ最大の戦争「アメリカ南北戦争」を3分で理解

アメリカの銃社会

3分でアメリカ南北戦争に関する最低限の知識をおさらいします。
抑えたい人物、抑えたい出来事、抑えたい結末をざっくり解説していきます。

●抑えたい人物
1.エイブラハム・リンカーン
→16代アメリカ合衆国大統領
→南北戦争の合衆国軍側リーダー

●抑えたい出来事
1.アメリカ南北戦争
→合衆国軍(北部) vs 連合国(南部)の戦い
→南北分裂、北部の勝利
2.ゲティスバーグの戦い
→南北戦争の最大の決戦
→合衆国軍側の勝利

●抑えたい結末
1.「人民の人民による人民のための政治」
→リンカーンの演説
→民主主義の原則を説き、アメリカの道筋を決めた
2.奴隷解放宣言
→北部の勝利により奴隷制度が撤廃

南北戦争の背景

領土を拡大した代償

「なぜ南北戦争が起きたのか?」への答えはシンプルです。
その答えはアメリカが短期間で領土を大きく伸ばし過ぎたからです。

建国時は現在のアメリカ領土の1/4にも満たない国でした。
そこから割譲と開拓を繰り返し、あっという間に領土を広げました。

国が大きくなるということは、それだけ政治基盤が必要です。
ただ、当時のアメリカは成長に追いつくための政治基盤がありませんでした。

保護貿易 vs 自由貿易

アメリカが拡大していくにつれて、アメリカは南北に分裂します。
南北は互いの政治運営をそれぞれ進めます。

アメリカ合衆国

北部はアメリカ共和党を立ち上げます。

北部はアメリカ合衆国として、保護主義政策を取ります。
自国の産業を発展させるために、外国との貿易を制限しました。

当時はまだアメリカより欧州の方が産業が発展していました。
貿易を放っておくと、安くて質の高い欧州の品に市場を奪われます。

アメリカ連合国

南部は民主党を立ち上げます。

南部はアメリカ連合国を1861年に建国します。
南部は外国との貿易を積極的に進める自由貿易政策を取ります。

産業力の低いアメリカ連合国が自由貿易を取り入れたることが出来たのは理由があります。
それが南部の奴隷制度でした。

奴隷貿易で大規模農業を成功させていた南部は欧州に対する産業(農業)を抱えていたのです。

南北戦争の決着

開戦と南部の勢い

南部は1861年に合衆国から独立し、連合国を建国。
首都をバージニア州、リッチモンドに置きます。

独立後、開戦に至り南北戦争は1861-1865年まで続きます。
戦力差では北部に分がありましたが、開戦当初は士気で勝る南部が勢いに乗ります。

「奴隷制度を守る」という利権を保持のために、南部は躍起になります。
この奴隷制度が最大のアキレス腱にもなっていきます。

因みに南北戦争はアメリカ史上最大の戦死者を出した戦争と言われています。
これは大戦の戦死者(アメリカ人)より上回ります。

リンカーンの反撃

当時のアメリカ合衆国大統領はリンカーンでした。
リンカーンは16代大統領で共和党の人物です。

リンカーンが南北戦争の北部勝利を導きます。

2つの戦略

リンカーンが北部を勝利に導いた戦略は大きく2つあります。

それが「ホームステッド法」と「奴隷解放宣言」です。

ホームステッド法は大陸西部地方の開墾者へ土地を与えます。
もう一つは奴隷解放宣言、これは南部の奴隷たちに希望を与えます。

西部の開拓者と南部の奴隷を味方につけることで戦争への戦力と大義名分を得ました。

ゲティスバーグの戦い

南北戦争最大の戦いであり、事実上の決戦がゲティスバーグの戦いです。
合衆国軍・連合国軍が総力戦を展開しました。

戦いは1863年7月1日-7月3日からの3日間で、勝利した合衆国軍側がそのまま戦争に勝ちました。

ゲティスバーグの戦いはアメリカ史に最上位のターニングポイントです。
リンカーン大統領はが勝利した同年に、戦没者を追悼するゲティスバーグ演説を行います。

「人民の人民による人民のための政治」
民主主義の原則、アメリカ合衆国の道筋を説いたリンカーンのゲティスバーグ演説。

この民主主義姿勢が国家分裂の危機に瀕したアメリカを救いました。
ゲティスバーグの戦い以降は連合国軍側は防戦一方でそのまま終戦を迎えました。

その後

戦後、アメリカ合衆国憲法修正第13条で奴隷制度の撤廃がされます。

第1節 奴隷制もしくは自発的でない隷属は、アメリカ合衆国内およびその法が及ぶ如何なる場所でも、存在してはならない。ただし犯罪者であって関連する者が正当と認めた場合の罰とするときを除く。

第2節 議会はこの修正条項を適切な法律によって実行させる権限を有する。

奴隷解放を宣言した合衆国でしたが、完全な差別撤廃とはいきませんでした。

KKK(クー・クラックス・クラン)と呼ばれる白人至上主義の秘密結社が黒人への差別運動を展開します。
解放された奴隷の立場も小作人に留まるなど社会構造としては、あまり変化が起きませんでした。

黒人(元奴隷)への差別は20世紀の公民権運動に繋がっていきます。
現在までもアメリカ社会は人種差別問題が時に深刻化します。

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